私、刑務所に入ります~網走監獄 観光記~―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part8

4日目・後編(2018/3/1)

(「釧網本線 縦断の旅―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part7」の続き)

旅行4日目の行程:
8:40 釧路駅→ 9:00 釧網本線 → 11:50 網走駅(いまここ!) → 12:30 網走監獄 → 15:00 網走駅(泊) 

※この旅行記は2019/7/2公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。

私、刑務所に入ります~網走監獄 観光記~

入獄

網走駅前のホテルに荷物を預けた私は、網走駅バス停12時23分発の網走バス「市内観光施設巡り線」に乗車しました。

向かうは今なお”日本最恐の刑務所”として知られる「網走監獄」です。

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網走監獄は明治時代、未開の地であった道東・網走の地に建てられた刑務所です。かつては”日本一脱獄が難しい刑務所”としても知られており、初期の頃の囚人労働の過酷さ、そして日本最北端・極寒の最果ての地に建てられた刑務所であったことから今なお”日本最恐の刑務所”として広く恐れられて知られています。

観光施設として知られている網走監獄(正式名称「博物館 網走監獄」)は、1983年まで実際に使用されていた網走刑務所の古い建物を天都山の中腹に移設したもので、”日本最恐”として知られる網走監獄の雰囲気を味わえる観光施設になっています。

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私を乗せたバスは国道39号を走ります。

ちなみに途中には「刑務所前」というバス停がありますが、こちらは現在の網走刑務所の最寄りバス停で、観光施設「網走監獄」の最寄りバス停ではありません。車窓からは現在の網走刑務所の姿も見えますが、現役の刑務所なので収監されない限りは中に入れない(笑)のでご注意を。

バスはやがて天都山へと登る道路を上っていきます。

そして網走駅を出発してから約10分、バスは網走監獄前にある「監獄博物館」バス停に到着しました。

バス停は網走監獄の正門から少し入ったところにあったため、一度正門まで徒歩で戻ります。

この正門から改めて網走監獄の敷地に入ります。

歩くこと数分、正面には格子に覆われた門が見えてきました。

門の左手にはチケット売り場があり、私はそこで網走監獄の”入獄券”…ではなく入場券を購入しました。

そして門左手の通路でチケットを見せて中に入った私は”日本最恐の刑務所”「網走監獄」に”入獄”したのでした。

網走監獄

(訪問当時にチケット売り場でもらった散策マップ記載の散策ルート「じっくりコース」に沿って順に散策しました。この記事では特に印象に残っている施設を紹介します)

正門

時刻は12時40分頃。入り口の門をくぐると、目の前にはレンガ造りの立派な門が見えました。

この門はかつての網走刑務所の正門を復元したものだそうで、正門前に建つ警官の”人形”がお出迎えをしてくれました。

旧庁舎

正門をくぐると、正面には白い建物が見えてきます。

この建物は網走刑務所の旧庁舎で、刑務所の管理部門の職員が詰めていた建物です(明治45年建築、国の重要文化財)。

建物の中に入ると、右手には喫茶コーナーとショップコーナー、左手には網走監獄などの歴史が書かれた展示パネルがありました。

展示パネルの奥にはライブラリーコーナーもあり、網走監獄に関する書籍が多数置かれていました。

裏門・旧裁判所など

13時少し前に旧庁舎を出ると雪が降り始めており時折り強風も吹きました。徐々に爆弾低気圧が接近していることを感じつつ網走監獄を巡ります。

敷地内には、職員が寝泊まりしていた旧網走刑務所職員官舎や、懲罰房と呼ばれる独房があったりしました。

下の写真はかつての網走刑務所で使われていた「裏門」。

レンガ造りが特徴の門で、通称「通用門」と呼ばれていました(大正13年建築、有形登録文化財)。

次にやってきたのは「釧路裁判所網走支部法廷復元棟」という長ったらしい名前の建物。

要は網走にあった裁判所の法廷のことで、外観は復元ですが中身の法廷などは実際に使われていたものを移築したとのこと。

中に入って軽く散策したはずですが、他の建物のインパクトが強くあまり具体的なことは覚えていません。

監獄歴史館

13時5分頃に旧裁判所を出た私は、監獄歴史館へと向かいました。

監獄歴史館はその名の通り、網走監獄の歴史を学ぶことができる資料館です。

当時使われていたモノが色々と展示されていましたが、歴史館で特に印象に残ったのは「赫い囚徒の森 体感シアター」というシアター。歴史館1階の中央にあり、三方をスクリーンで囲まれたシアターでした。

シアターは客が押しボタン式で再生できるようになっていました。私が恐る恐るシアターの上映開始ボタンを押すと、音楽と共に三方のスクリーンに映像が映し出されました。

そこで上映されたのは、初期の頃に行われた囚人労働、その中で最も過酷とされる中央道路の開拓の様子を再現したアニメーションでした。

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中央道路とは札幌から網走までを結ぶために明治期に開拓された道路のことです。

当時の北海道の道路開拓では囚人を北海道に送り開拓に充てていました。しかし当時は完全なる未開の地での道路開拓はどの現場も過酷を極めました。

その中でも特に凄惨を極めたのが、旭川から北見峠を経由して網走に至る通称「北見道路」の開拓。網走監獄に収容された1000人を超す囚人が充てられましたが、わずか8ヶ月の間に囚人・看守合わせて200人を超す死者を出したとされています。

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シアターでは、そんな北見道路開拓の様子がアニメーションとして上映されていました。

未開の森を延々と突き進む囚人たち。時には雨に降られ、熊などに襲われる過酷な状況。満足な食事もなく栄養失調などから病気にかかり、次々と亡くなっていく囚人たち。

このアニメーションを見るだけでもいかにこの開拓がいかに過酷であったか、そしていくら囚人とは言え、このような囚人の犠牲の上に網走開拓の礎が築かれたことを思い知らされました。

旧・二見ケ岡刑務支所

13時半頃に監獄歴史館を出た私が次に向かったのは旧網走刑務所・二見ケ岡刑務支所です。

二見ケ岡刑務支所は、網走刑務所の本部とは別に農園作業を行う施設として作られた支所で、現在も網走刑務所・二見ケ岡農場として稼働しています。

網走監獄にある建物はこちらも昔現地で実際に使われていた建物(明治29年建築、国の重要文化財)を移築したものです。

中には様々な部屋があり、それぞれの部屋には多数の囚人の人形が置かれていました。人形は妙にリアリティが高く、建物内が薄暗ったこともあったため不気味さを放っていました。しかしそのおかげか囚人の日々の様子を感じ取ることはできました。

舎房・中央見張所

時刻は13時40分頃。次にやってきたのは一般に網走監獄として認知されている舎房・中央見張所です。

この建物は中央見張所という見張所を中心に5つの舎房(受刑者が収容されている建物)が放射状に延びている特徴的な建物です(明治45年建築、国の重要文化財)。

まず正面の入り口から建物の中に入ると、目の前には中央見張所の詰所が見えてきます。

詰所の周りには放射状に配置された5つの舎房へと続く廊下がそれぞれ延びています。

舎房エリアに入ると、長い廊下の両脇には囚人が入る部屋が多数配置されています。

部屋の一部は覗いたり中に入ったりすることもできます。写真は撮り忘れましたが、部屋の中はそこまで広くなく薄暗い感じでした。そのため、今後実際に入ることがないようにしたいと改めて思いました(笑)。

脱獄

14時頃にに舎房・中央見張所を出た私は、雪と風が強くなる中、浴場、煉瓦造り独居房、教誨堂などを見学しました(詳細は省略します)。

そして14時20分頃、旧庁舎を後にした私は網走監獄の出口へと向かいました。”入獄”(入場)してから”脱獄”(出場)するまで約1時間20分の網走監獄 観光でした。

無事に”脱獄”に成功した私は、荒れ行く天候の中、出口近くにあるお土産屋さん(物産館)に入りました。

そこには網走監獄に関するシュールなお土産が多数売られていました。手錠はもちろんのこと(笑)、某番組にあやかった「現在 逃走中」のTシャツ、”森のくまさん”ならぬ「オリのくまさん」のクリアファイルなど、見ているだけで面白いお土産が多数売られていました。私は笑いを必死に抑えながらお土産を見て回りました。

14時40分過ぎ、物産館を後にした私は駐車場にあるバス停へと向かいました。そして14時49分発予定の網走行きバスに乗車しました。

網走駅に戻ってきたのは15時頃。すでに天候が荒れ始めていたため、私は駅前の某牛丼チェーン店で遅めの昼ご飯を取ることにしました。

そして荒れ行く天候の中、残りの時間を駅前のホテルで過ごしました。

 


今回の記事はここまでとなります。

翌朝は天都山山頂近くにある山の上の水族館「オホーツク流氷館」を訪れますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。

 

続きは「オホーツク流氷館を訪ねて―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part9」へ

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