3日目・後編(2018/2/28)
(「本土最東端・納沙布岬へ―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part5」の続き)
旅行3日目の行程:
5:15 釧路駅→ 5:35 花咲線 → 8:00 根室駅 → 8:20 根室交通 納沙布線(バス) → 9:00 納沙布岬 → 10:00 バス → 10:40 根室駅(いまここ!) → 11:00 東根室駅 (日本最東端の駅) → 12:20 根室駅 → 13:30 花咲線 → 15:50 根室駅(泊)
※この旅行記は2019/6/10公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。
日本最東端の駅・東根室駅へ
根室駅
納沙布岬バス停を出発してから約45分、私を乗せたバスは根室駅前ターミナルバス停到着しました。
時刻は午前10時40分。私はここから午前11時00分発の快速「はなさき」釧路行きの列車に乗り込みました。
向かうは次の停車駅で日本最東端の駅である東根室駅です。
- 根室駅に停車中の快速「はなさき」釧路行き
日本最東端の駅・東根室駅
午前11時03分、列車は隣駅である東根室駅に到着しました。
- 東根室駅に停車中の列車
東根室駅は、根室駅と同じく根室市内にある駅です。街の中心部にある根室駅とは異なり駅舎も待合室もない小さな無人駅ですが、実はこの小さな駅が日本最東端の駅なのです。
そんな日本最東端の駅・東根室駅に降り立ったのは私一人だけ。1両編成の列車は私を残して釧路方面へと走り去ってゆきました。
東根室駅はとても簡易的な作りの駅で、ホームは木の板で作られていました。
- 東根室駅 ホーム(根室側から撮影)
- ホームから根室方面を見る
- 東根室駅 ホーム(釧路側から撮影)
- ホームから釧路方面を見る
そして東根室駅は何を隠そう日本最東端の駅。そのため秘境の中にポツンと立つ駅を想像していました。
しかし実際に降り立ってみると、駅の周囲は住宅街になっており、秘境感はまったくありませんでした。
- 東根室駅から見る住宅街の眺め
- 東根室駅から見る住宅街の眺め
(ちなみに上の写真のように、ホームからの眺めは良かったです)
ホーム上には日本最東端の駅であることを示す柱が建てられていました。これを見ると、こんな住宅街の中ではあるけれどここが日本最東端の駅なのだなと思いました。
- 東根室駅の駅名標
- 東根室駅ホームに建てられた柱
- 東根室駅の駅名標と柱
- 東根室駅の時刻表と運賃案内
ホームの一角には階段があり、そこから地上にある駅前の駐車スペースに降りることができます。
- 根室駅前に建てられた柱
- 東根室駅の全景(地上より撮影)
東根室駅に降り立ったのは私一人だけ。そのため日本最東端の駅を思う存分 独り占めすることができました。
そして駅に降り立ってから約25分、東根室駅を堪能しつくした私は東根室駅を後にしました。
東根室駅の悲劇&釧路への帰還
東根室駅の悲劇
東根室駅を後にした私は、駅前から真っすぐ延びる上り坂を上りました。
- 東根室駅前の上り坂の上から東根室駅を見る
坂を上り切ると片側1車線の道路に出るのですが、そこにはバス停があります。バス停名は”東根室駅前”…ではなく「光洋中学校前」。
- 東根室駅の近くにある光洋中学校前バス停
ここからバス(根室交通 公共循環線)に乗ることで根室駅に戻ることができますが、次のバスまでは約30分もありました。
そこで東根室駅から根室駅まで歩くことにしました。事前の調べでは、東根室駅から根室駅までは徒歩で約25分。バスの待ち時間とそんなに変わりません。
ということでスマホのマップを頼りに歩き始めたのですが、これが悲劇の序章になるとは思いもしませんでした…
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歩き始めてしばらくすると、思ったよりも遠いと感じました。
そもそも徒歩25分というのは春や秋などの歩きやすい季節の前提で、冬のような雪が積もって歩きにくい時期だともっと時間がかかるはずです。
加えて雪道を歩いているためか普段歩くときよりも体力を消耗しているように感じました。
とは言え気が付けば既に15分近く歩いていました。そのため今さら引き返すわけにもいかない状態でした。
- 跨線橋から見る花咲線の線路(東根室~根室)
そして疲れも溜まり始めていたころ、私はある細い路地を渡ろうとしていました。するとその路地から車がゆっくりと出てきました。車も私に気が付き停まったため、普通に行けば特に何の問題もなく路地を渡り切る…はずでした。
ところが車に気を取られたために、路地を渡る部分がアイスバーン(氷のような滑りやすい状態)になっていることに気付きませんでした。
私は車の目の前で思いっきり転倒し、左半身を強打してしまいました。
私がまず考えたのは、このままだと車に引かれかねない、ということでした。なので慌てて起き上がり四つん這いのような状態で道路を渡り切り何とか引かれずに済みました。
しかしそれも束の間、左肩と左膝が強く痛みました。左半身が全体的に痛かったですが、その中でも左肩と左膝の関節周辺を特に痛めてしまったようです。
何とか立ち上がりますが、まともに歩ける状態ではありませんでした。このままではマズい―そう思った時に、転倒する少し前にバス停があったのを思い出しました。
そこで私は左足を引きずりながらそのバス停まで戻りました。今回は幸いにも近くにバス停がありましたが、もしバス停が近くになかったらどうなっていたのだろう…と思うとゾッとしてしまいました。
バス停で軽い放心状態になりながら痛みをこらえて待つこと数分、やってきた根室交通 公住循環線のバスに乗り込みました。
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バスに乗り込んだ後も全く安心することはできませんでした。果たして宿のある釧路まで帰還できるのか、そのことが不安でした。
バスは昼の12時20分頃に根室駅前ターミナルバス停に到着しました。バスを降りた私は、そのまま根室駅の駅舎の中に入り、駅舎の中にあるベンチに腰掛けました。
すでに旅行気分は吹っ飛び、左膝と左肩は相変わらず痛みました。すでに転倒してから30分以上経つのに痛みが治まりませんでした。
ネットで調べた限り、骨折はしていなさそう(骨折していたらおそらく転倒したその場で動けないはず)だったので一応は胸をなでおろしました。
しかし打撲している可能性はありました。その対策としては氷で冷やすとよいということでしたが、あいにく氷を持ち合わせていませんでした。
そこで一か八か根室駅の駅員さんに事情を話して氷があるか聞いてみました。すると、保冷材なら1つだけあるとのことでした。
私はその保冷材をありがたくいただくことにして、患部に保冷剤を当てて冷やしながら次の列車を待ちました。
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左膝と左肩を交互に冷やしながら痛みに耐えること約1時間、ようやく次の列車の改札が始まりました。
私は列車に乗り込み進行方向右側のボックスシートに倒れるように座り込みました。
雪道を15分以上歩いたことによる疲労と転倒したことによるショックと痛みでかなり辛かったです。
列車はそんな状態の私を乗せて13時33分に根室駅を発車しました。本土最東端の街・根室を後にする余韻は全くなく、無事に釧路までたどり着けるか、そしてこの後も旅行を続けられるかという不安で渦巻いていました。
釧路への帰還
さて根室から終点の釧路までは約2時間20分もかかります。その間も保冷剤で患部を冷やしていました。
そんな疲れ切った状態でしたが、行きの列車でも見たシカの大群やローカル線らしい駅舎を見ていると、一瞬ですが痛みのことを忘れることができました。
- 西和田駅
- 初田牛駅
- 厚床駅
- 糸魚沢駅
- 門静駅 駅名標
- 門静駅
そして根室駅を発車してから約2時間20分後の15時51分、列車は終点の釧路に到着しました。
患部に当てていた保冷材は完全にぬるくなっていました。しかしそのおかげで痛みは大分引いていました。
ただ左膝と左肩はまだ痛んではいたので、一旦ホテルに戻った私は、釧路駅前のバス停からバスに乗ってドラッグストアに行き、冷湿布を調達してきました。
嵐の前夜
保冷材や湿布の効果もあり、ある程度は歩ける状態まで回復しました。この後 数日間は湿布を貼ることになりましたが、旅行を続けることはできました。
しかし旅行を続けるうえでもう一つの問題が迫っていました。
それは爆弾低気圧の襲来です。
天気予報によると、翌3月1日の午後から徐々に荒れ始め、3月2日にかけ北海道を横断するというものでした。予定では、3月1日は網走まで出て3月2日に旭川へと向かう予定でしたが、このままだと網走で足止めを食らうことになりそうでした。
そして今回の爆弾低気圧の規模はかなり大きいものになるとのことでした。その比較としてニュースで取り上げられたのは2013年3月2日に襲った爆弾低気圧。そう聞いた私は一瞬頭が真っ白になりました。
なぜならその爆弾低気圧は、5年前の北海道一周の旅で襲ったあの忌まわしき爆弾低気圧だったからです。
5年前の旅行のときには日本最北端の地・宗谷岬への到達を断念するなど、大きな影響を受けました。それと同じ規模の爆弾低気圧が5年後の北海道一周の旅に来るとは、もはや運命めいたものを感じてしまいました。
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この日はいろいろと衝撃の多い一日でした。花咲線の車窓のきれいさに衝撃を受け、納沙布岬では北方領土の近さに衝撃を受け、東根室からの帰りに雪道で転倒して”衝撃”を受け、5年前の旅行と同じ規模の爆弾低気圧が来ることに衝撃を受けました。
そしてここから旅程は大幅に狂っていくことになりました。5年前に稚内行きを断念させたときと同じ規模の爆弾低気圧の襲来。今回も悲願の宗谷岬到達を断念することになるのか―そんなことが頭に浮かぶ中、私は眠りにつくのでした。
今回の記事はここまでとなります。
翌日は釧網本線で網走に移動した後、嵐が迫る中、日本最恐の刑務所・網走監獄を観光しますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。
続きは「釧網本線 縦断の旅―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part7」へ
「2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら
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