普通列車で行く根室本線 横断の旅―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part3

2日目・後編(2018/2/27)

(「早朝の富良野線と根室本線の山越え区間を行く―2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part2」の続き)

旅行2日目の行程:
5:15 旭川駅 → 5:40 富良野線 → 7:10 富良野駅 → 7:20 根室本線 → 9:20 新得駅(いまここ!) → 10:45 根室本線 → 16:10 釧路(泊)

※この旅行記は2019/5/31公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。

根室本線の旅②~十勝平野を駆け抜ける~

新得駅

午前9時18分に新得駅に到着した私でしたが、次の快速・帯広行きの列車までは約1時間半も待つ必要がありました。

山越え区間が運休になる前、東鹿越で下車した普通列車は帯広行きの列車でした。運休となってからは東鹿越止まりの列車、列車代行バス、新得始発帯広行きの3系統に分割されていました。

ところが列車代行バスは新得始発帯広行きの列車にわずか8分差で接続ができないという謎ダイヤになっていました。特急列車を使わずに旅をしていた私は、次の快速列車まで長時間待たされる羽目になりました。

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新得駅は根室本線と石勝線が乗り入れる主要駅の一つで、特急列車の停車駅にもなっていました。

そのため駅の規模は大きめでしたが、駅前はそこまで栄えている様子はありませんでした。

駅舎の中は広めでベンチが大量に置かれており、その脇にはそば屋さんもありました。

列車の発車約10分前、私は改札を通って駅構内へと入りました。

跨線橋を渡り2・3番線ホームに向かうと、3番線に1両編成の列車が停まっていました。

この列車は臨時快速・帯広行き。元々は旭川始発・富良野線経由・根室本線直通の快速「狩勝」帯広行きですが、山越え区間の運休でこの列車も運転系統が分断されていました。帯広側の区間は何故か臨時快速扱いになっていました。

そして列車内に乗り込み待つこと約10分、列車は帯広に向けた発車しました。

根室本線(新得~帯広)

新得を発車した列車は十勝平野の中を走り抜けます。

私が座った進行方向右手には山々が広がっていることが多かったですが、進行方向左手の車窓からは雪に覆われた十勝平野の景色が広がっていました。左側に座ればよかったなと内心思いつつも空きがなかったため、そのままの状態で乗り通すことにしました。

やがて列車は高架区間に入り、ビルなどの都会的な建物が見えてきました。そして新得駅を出発してから約50分後の午前11時34分、列車は終点の帯広駅に到着しました。

帯広駅

帯広駅は十勝地方の中心都市である帯広市の代表駅で、根室本線の主要駅の一つです。

高架上にあるホームから地上に下りると、そこには改札がありました。

改札は1・2番線ホーム用と3・4番線ホーム用に分かれており、両者の改札が線路と並行して伸びる東西通路を挟んで向かい合っている珍しいタイプでした。

駅の規模は十勝地方の中心駅ということもあり非常に大きく、北口側と南口側に東西2ヶ所ずつある出入り口を巡るだけでそれなりの時間がかかりました。駅前のロータリーも非常に大きく、まさに十勝地方の代表駅といった感じでした。

根室本線の旅③~普通列車で行く帯広ー釧路3時間半の旅~

根室本線(帯広~池田)

帯広駅に到着してから約1時間経った12時半頃、私は再びホームへと向かいました。

ホームにはすでに帯広始発の普通・釧路行きの列車が停車していました。

列車は新得方面からの普通列車の接続を待った後、12時42分に定刻通り帯広駅を出発しました。ここから終点の釧路まで片道約3時間半の旅が始まります。

帯広駅を出発した列車内は席が埋まる程度の込み具合でしたが、そこから人は徐々に減っていきました。

帯広駅を出発してから約35分後、列車は池田駅に到着しました。

ここ池田駅では多くの乗客が降りていきました。池田駅では10分間停車するとのことだったので、ホームに降りて写真を何枚か撮りました。

根室本線(池田~上厚内)

13時26分、列車は定刻通りに池田駅を出発しました。

帯広駅を出発してから約1時間20分後、列車は浦幌駅に到着しました。ここで私以外の残りの乗客は全員下りたことで、列車内に残る乗客は私一人だけとなりました。

根室本線の新得~釧路の区間は札幌からの特急列車も走る主要区間です。しかし、普通列車の方は完全にローカル線と化しているようでした。

上厚内信号場(旧・上厚内駅)

浦幌駅を出発して約15分後、列車は途中の信号場で列車の行き違いのために停車をしました。

この信号場は上厚内信号場で、かつては上厚内駅という駅でした(2017年3月に廃止)。

そんな人里離れた信号場に停車している間も乗客は私一人だけ。そんな状況に少しの戸惑いと興奮を覚えながら発車のときを待ちました。

列車の行き違いが終わり信号場を発車した列車は、白糠駅を出発してから約31分後、次の停車駅・厚内駅に停車しました。ここからも乗客は乗ることなく、列車は厚内駅を出発しました。

誰もいない車内から見る太平洋の絶景(上厚内~白糠)

厚内駅を出発してしばらくすると、進行方向右手の車窓には一面に広がる太平洋が見えてきました。

厚内から先の区間は海岸に近いところを走り、断続的に海が見える根室本線屈指の絶景区間です。私はこの絶景を誰もいない車内から独り占めしたのでした。

そんな太平洋の絶景を横目に列車は直別、尺別、音別、古瀬と停車していきました。このうち2021年現在も現存するのは音別駅だけ。いかにこの区間が閑散区間であるかを物語っています。

そしてこの間も当然ながら他の乗客が乗ってくることはなく、私一人だけでした。

根室本線(白糠~釧路)

帯広駅を出発してから約2時間30分、列車は白糠駅に到着しました。ここ白糠では約1時間10分ぶりに他の乗客が乗り込んできました。

白糠駅で少し停車した後、列車は釧路へと向けて再び走り始めました。

そして帯広を出発してから約3時間半後の16時10分、列車は日が傾き始めた夕方の釧路駅に到着しました。

釧路駅

ホーム

釧路駅は道東の主要都市・釧路市の代表駅で、根室本線の他に釧網本線の列車も乗り入れています。そのためかホームの数も多く、3面5線となっています。

 

到着したのは4・5番線ホーム。ここから駅構内の地下通路を通り1番線ホームにある改札へと向かいますが、その道中にはかつての釧路駅を偲ばせる幾つかの遺構がありました。

釧路駅に残る遺構

まず4・5番線ホームの5番線側から見える小さな建物(下の写真)。これは1970年まで釧路市内を走っていた雄別鉄道雄別本線・釧路駅の旧6番線ホームから地下通路へと続く階段の跡です。

雄別鉄道雄別本線は釧路駅と雄別炭山駅を結んでいた全長44.1kmの路線です。廃線から50年近くたった現在、6番線のホームや線路はすべて撤去されていましたが、地下通路へと続く階段は当時のまま残されていました。

その跡は地下通路内にも確認できます。地下通路に下りると左手に壁がありますが、よく見ると一部が扉になっています(下の2枚目の写真)。

この扉の奥には6番線ホームへと続く地下通路があったそうです。こちらも廃線から50年近く経っていますが、現在も閉鎖されたまま残されています。

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最後の遺構は地下通路内にあるステーションギャラリー。一見すると写真の飾られた壁に見えます。

しかしここには2004年に閉店した釧路ステーションデパートへと続く改札があったそうです。

しかし現在は壁で覆われステーションギャラリーとなっていたため、当時の様子がどんな感じだったかを知ることはできませんでした。

釧路駅前

そんな遺構を見ながら釧路駅の改札を出た私は、夕暮れの釧路駅前を通ってこの日泊まるホテルへと向かいました。

波乱の前兆

ホテルにチェックインした私はたまたまテレビでニュース番組の天気予報を見ました。そこで語られたのは、翌々日の3月1日から2日にかけて低気圧が発達、北海道を直撃するというショッキングな内容でした。

出発前の天気予報でもこの日は曇り時々雪となっていたため雪が降る可能性があることは想定していました。しかし5年前の経験を踏まえて爆弾低気圧が来なさそうな日程を選んだつもりの私にとっては、今回の低気圧が爆弾低気圧になることは想定外でした。

今回は旅程に2日の余裕を持たせていました。しかし5年前の稚内断念の悪夢が私の中で蘇っていました。

そしてこの爆弾低気圧が5年前と同じく今回の旅に大きな影響をもたらすことになるのでした。

 


旅行2日目はここまでとなります。

翌日は、根室本線の末端区間・通称「花咲線」に乗車して本州最東端の街・根室へと向かいますが、続きは次回の記事に書きたいと思います。

 

続きは「早朝の花咲線、絶景を見るー2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ・Part4」へ

「2018年02月 北海道一周の旅Ⅱ」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 

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