札沼線 在りし日の終点・新十津川へ―2017年 秋の道央を巡る旅・Part2

4日目・前半(2017/10/9)

(「秋の札幌ミニ観光―2017年 秋の道央を巡る旅・Part1」の続き)

旅行4日目の行程:
6:30 札幌駅(いまここ!) → 6:40 札沼線 → 9:30 新十津川駅 → (バス) 10:10 滝川駅 → (函館本線・千歳線) 14:00 千歳 → 14:30 石勝線本線・夕張支線 → 16:20 夕張駅 → 16:30 石勝線・千歳線 → 19:20 札幌駅(泊)

札沼線 在りし日の終点・新十津川へ

札幌駅

2017年10月9日、私は早朝の札幌駅10番線ホームへとやって来ました。

ホームにはすでに午前6時38分発の札沼線直通の普通・石狩当別行きの列車が停車していました。ここから今は亡き札沼線の終点・新十津川へと向かう最初で最後の旅路が始まります。

札沼線 概要

2021年現在の札沼線は札幌駅の一駅隣に位置する桑園駅と石狩郡当別町の北海道医療大学駅を結ぶ全長28.9kmの路線で、「学園都市線」の愛称で知られる通勤通学路線です。

しかしかつての札沼線は今とは全く異なる様相を呈していました。

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札沼線が開業したのは1931年。当時は部分開業でしたがそこから4年かけて全線開業しました。

1935年から1972年までの札沼線は桑園駅と雨竜郡沼田町の石狩沼田駅までを結んだ全長111.4kmのローカル線でした。石狩沼田駅は留萌本線に現存する駅で、札沼線の「沼」はこの石狩沼田が由来となっていました。

しかし1972年に新十津川~石狩沼田の区間が廃止。札沼線は桑園駅と樺戸郡新十津川町にあった新十津川駅までを結ぶ全長76.5kmの路線となりました(2020年5月7日まで)。

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この頃の札沼線は札幌近郊も含めた全区間を通してローカル線と化しており、札幌発の列車ですら1日10往復程度しかありませんでした。

しかし1980年代に入ると札幌近郊の前半区間(桑園~北海道医療大学)の沿線開発が進みました。宅地開発や教育機関の移転により沿線の人口は増加。列車の本数も徐々に増えてゆき2012年には電化もされるなど、札幌への通勤通学路線として目覚ましい発展を遂げました。

それに対して後半区間(北海道医療大学~新十津川)は1日に8往復しか走らないローカル線のまま取り残されることになりました。さらに末端区間の浦臼~新十津川に至っては1日1往復しか走らない秘境区間となっていました(2017年当時)。

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平成時代の札沼線はこのように通勤通学路線とローカル線の両方の側面を有する路線として知られていました。

しかし令和に入って2年目を迎えた2020年5月7日、札沼線の後半区間(北海道医療大学~新十津川)は残念ながら廃止となりました。

こうして札沼線は桑園駅と北海道医療大学駅を結ぶ全長28.9kmの路線の通勤通学路線へとなったのでした。

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今回の旅は新十津川が終点だった頃の札沼線、最初で最後の乗車記です。

札沼線(札幌~石狩当別)

定刻通りに札幌駅を出発した列車は次の桑園駅から札沼線に入ります。前半区間の車窓からは「学園都市線」の愛称にふさわしい住宅街が広がっていました。

しかし桑園駅から8駅先の「あいの里教育大学駅」を出発してしばらくすると、進行方向右手の車窓には突如として原野を思わせるような北の大地が広がりました。まだ通勤通学路線である前半区間なのですが、車窓からこんな光景が広がることにビックリしました。

そして札幌駅を出発してから約40分後の午前7時18分、列車は終点の石狩当別駅に到着しました。

石狩当別駅

石狩当別駅は石狩郡当別町にある駅で、札沼線の主要駅の一つです。前半区間の終点・北海道医療大学は次の駅ですが、後半区間へと向かう列車は全てここ石狩当別駅の発着となっていました。

3番線に停車中の普通・新十津川行きの列車は1両編成の気動車。先ほどまでの6両編成の電車とは雲泥の差でした。

そして午前7時45分、列車は定刻通り石狩当別駅を出発しました。

札沼線(石狩当別~石狩月形)

次の北海道医療大学駅を出発すると、列車は今回のメインである後半区間に入ります。

北海道医療大学駅から3駅先の中小屋駅を過ぎると徐々に霧が深くなってきました。

車窓からはしばらく霧と北の大地が織りなす幻想的な光景が広がっていました。

そして石狩当別駅を出発してから約30分後の午前8時17分、列車は途中駅の石狩月形駅に到着しました。

石狩月形駅

石狩月形駅では反対方向の列車との行き違いのため約20分停車するため、外に出ることにしました。

駅舎の中はストーブが置かれており、地元と思われる方々が休息していました。

駅前通りは比較的広く、両脇には民家が建ち並んでいました。

新十津川行きの列車は行き違いの列車がやって来た後、午前8時40分に石狩月形駅を出発しました。

札沼線(石狩月形~新十津川)

石狩月形を出発してから25分後の午前9時5分、列車は主要駅の一つである浦臼駅に到着しました。

ここから先は1日1往復(2017年当時)しか走らない秘境区間へと突入することになります。

浦臼駅を発車した列車は引き続き北の大地を走り抜けます。

浦臼から3駅先の南下徳富駅は駅舎はおろか待合室すらなく、細いホームが田畑の中に建っているだけでした。

そして次の下徳富駅を出ると列車はいよいよ終点の新十津川駅に到着します。

終点・新十津川駅

午前9時28分、列車は遂に終点の新十津川駅に到着しました。石狩当別から約1時間40分の旅路でした。

駅に到着すると、地元の幼稚園児達が集まっており出迎えてくれました。

ホーム先端からはしばらく線路が延びていましたが、遠くに線路の終端を表す車止めが見えていました。1972年まで延びていた石狩沼田までの鉄路はすでになく、桑園駅から続いた76.5kmの鉄路はここで終わりとなっていました。

新十津川駅は1面1線の駅で、ホームは舗装されておらず砂利が敷かれていました。

ホームから駅舎へと向かう階段を降りると、地元の幼稚園児からポストカードを頂きました。ポストカードには地元の幼児園児たちが描いたという可愛らしい電車と車掌の絵が描かれていました

新十津川駅 駅舎のホーム側には大きく「ようこそ新十津川へ」と書かれていました。

その脇では制服を着たワンちゃんが飼い主と共に座っており、記念撮影に応じていました。

新十津川駅の駅舎内の様子↓

ホーム出入口の上部には新十津川駅の時刻表が掲げられていました↓

1日1往復しか来ない新十津川駅。いま乗った電車の折り返し9時40分発の列車がこの駅の始発列車&最終列車となります。

そしてこちらが新十津川駅の駅舎↓

1953年建造の木造駅舎で、ローカル線の終着駅にふさわしい駅舎でした。

さて折り返しの普通・石狩当別行きの発車時刻が迫っていました。駅構内にいた人々は車内へと戻っていきました。

そして午前9時40分、始発&最終列車である普通・石狩当別行きの列車は定刻通り新十津川駅を発車しました。

地元の園児たちが声援を送る中、列車が走り去るのを私は動画を撮影しながら見送りました。

滝川ワープ

最終列車に乗車せずに新十津川駅に残った私。

ここからは通称「滝川ワープ」と呼ばれる鉄道ファン御用達のショートカット術を使いました。

「滝川ワープ」とは新十津川駅から直線でわずか4kmのところにある函館本線の滝川駅へと向かうルートのことです。新十津川駅から約300mのところにある新十津川役場からは1時間に1本以上バスが出ており、約20分ほどで滝川駅へと向かえます。

ということでまずは新十津川役場バス停に向かいます。

1日1往復しか発着しない新十津川駅ですが、駅周辺は町役場も建つ町の中心街。そのため駅周辺は住宅などの建物が建ち並んでおり秘境感は全くありませんでした。

歩くこと約5分、私は新十津川役場バス停に到着しました。

そして午前9時56分発の北海道中央バスに乗車した私は、約15分ほどで滝川駅に隣接する滝川ターミナルに到着しました。

北の原野のような田園地帯を延々と走り抜けた在りし日の札沼線の後半区間、そして園児や駅長犬が迎えてくれたかつての終点・新十津川。

某ウイルスが世界的に猛威を振るっていた2020年4月17日に突然のラストランを迎え、同年5月7日に廃止となった今では二度と見ることができない光景となってしまいました。


2日目の途中ですが今回の記事はここまでとなります。

この後は函館本線、千歳線(札幌~南千歳)を乗り継いで2019年4月1日に廃止となった石勝線の夕張支線に乗車しますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。

 

続きは「在りし日の夕張支線 16.1kmの旅―2017年 秋の道央を巡る旅・Part3」へ

「2017年10月 秋の道央を巡る旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 

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