JR福塩線の旅―2017年 中国地方のローカル線を巡る旅・Part2

1日目 後編(2017/8/14)

(「JR吉備線・井原鉄道の旅―2017年 中国地方のローカル線を巡る旅・Part1」の続き)

旅行1日目の行程:
10:40 岡山駅 → 11:00 JR吉備線 → 12:00 井原鉄道 → 13:30 福山駅(いまここ!) → 14:00 JR福塩線 → 17:00 三次駅

※この旅行記は2019/1/2公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。

JR福塩線 乗車記

福山駅

午後1時半前、私は井原鉄道・福塩線を経由して福山駅までやって来ました。

福山駅は広島県東部にある備後地方最大の都市・福山市の中心駅で、山陽本線、山陽新幹線、福塩線の3路線が乗り入れる主要駅の一つです。

福山駅のすぐ北側には福山城が隣接しており、時間があれば観光したいところでした。

しかし乗り換え時間が40分程度しかなかったため、昼食を食べるだけにしました。昼食は南口駅舎横の「あじわい 福山店」でご当地ラーメンである福山ラーメンをいただきました。

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昼食を食べ終えた私は福山駅の構内へと戻りました。8番線ホームへと向かうとそこには既に福塩線の普通・府中行きの列車が停車していました。

福塩線は広島県東部の主要都市・福山と広島県の山間の街・三次(みよし)市にある塩町駅を結ぶ全長78.0 kmの路線です。このうち途中の府中までの23.6 kmは電化されていますが、府中~塩町間54.4 kmは非電化区間となっています。

まず乗車するのは電化区間を走る普通・府中行きの列車。

府中と言えば関東圏の人なら東京都府中市を思い浮かべると思いますが、この列車が向かうのは広島県府中市にある府中駅です。

福塩線・電化区間(福山~府中)

府中行きの列車は14時8分に福山駅を出発しました。列車は福山城を右手に見ながら山陽本線としばらく並走した後、大きく右に進路を変えて地上へと降りました。

車窓からは遠く前方に見えていた中国山地の山々が段々と近づいてきていました。

そして福山駅を出発してから42分後の14時50分、列車は終点の府中駅に到着しました。

府中駅@広島

列車を降りた私は、府中駅ホームの塩町側に停まる列車へと向かって歩きました。

広島の府中駅は東京の府中駅と比べてかなり寂れてはいましたが、同時にその寂れ具合が趣(おもむき)を感じさせる駅でした。

府中駅ホームの塩町側に停まっていたのは1両編成の気動車でした。ここまで乗っていたのは2両編成の電車であったため、その2両分の人数が1両に詰め込まれる形になりました。

1両編成の気動車の中は完全に席が埋まっており、前の方には立っている人が5~6人くらい見受けられる状態でした。

さて私はというと座ることができなかったので、列車後方・進行方向右側の出入り口付近に陣取り車窓を楽しむことにしました。

そして列車は15時5分に定刻通り府中駅を出発しました。

福塩線・非電化区間(府中~塩町)

福塩線は始発の福山駅から芦田川に沿って北に延びています。府中駅を出発した列車は芦田川の橋梁を幾度かわたりながら芦田川沿いに北上を続けました。

府中までは中国山地が徐々に迫っている印象でしたが、府中以降は中国山地の中を駆け抜ける形となり、車窓に山肌しか見えない区間も見受けられるようになりました。そして芦田川の姿と川沿いの小さなスペースにある田畑や住宅を右側もしくは左側に見ながら列車は北へと進んでいきます。

そして府中駅を出発してから1時間33分、列車は福塩線の終点・塩町駅に到着しました。塩町駅では芸備線が接続してはいるものの、駅の規模は1面2線の小さなローカル駅でした。

さてこの列車は芸備線直通の普通・三次行きでした。そのため塩町駅では下車せず引き続き乗車したまま終点の三次駅を目指しました。

終点・三次へ

芸備線に直通した列車は途中、隣の神杉駅で列車の行き違いのため少し停車しました。

そして塩町駅を出発して3駅、時間にして14分、列車は終点の三次駅に到着しました。府中駅から1時間50分、福山駅から2時間47分の旅でした。

三次駅

三次市は広島県の山間に位置する街で、その代表駅である三次駅は、芸備線、福塩線、そして2017年当時は三江線の3つが乗り入れている主要駅の一つでした。

三次駅の構内はホームに面する2面3線に加えて、留置線も確認できただけで6本あるなど、駅の規模としてはそこそこ大きい方でした。

私は降り立った2・3番線から跨線橋を渡り駅舎のある1番線ホームへと向かいます。

三次駅の駅舎は2015年に建てられた新しい駅舎でした。

駅前も新しい雰囲気で、広々としたロータリーになっていました。

今日の旅はここ三次までとなります。

翌日は島根が誇る2大ローカル路線―木次線、そして翌2018年4月1日付の廃止が決まっていた三江線に乗る予定でした。

しかしホテルに向かう途中で降り始めた雨が翌日の旅に波乱をもたらすこと、そしてかつてない過酷な旅路へといざなうことをこのときの私は知るよしもなかったのでした。

おまけ:岡山に来るまで

万葉の岬からの絶景

前回記事の冒頭にも書いた通り、岡山駅に来るまでの間、私は関西にある父方の祖父母の家に来ていました。

この年も例年通り2泊3日の滞在でしたが、その2日目(8/13)に兵庫県相生市にある「万葉の岬」を訪れました。相生市は兵庫県南西部にある街で、「万葉の岬」は瀬戸内海に突き出た相生市の南東部の岬です。

「万葉の岬」のすぐそばには「HOTEL万葉岬」が建っていますが、ここはかつて国民宿舎「相生荘」という宿でした。私の記憶にはありませんが、私が幼いころ家族でこの「相生荘」に泊まったことがあるのだそうです。

そしてこの年、家族で約20年ぶりにかつての「相生荘」(現・「HOTEL万葉岬」)が建つ「万葉の岬」までやってきました。今回は泊まりに来たわけではなく、近くまで来たので久しぶりに軽く寄ってみようという感じでした。

とは言え私が訪れた約20年前は小学生か幼稚園生の頃です。そのため「相生荘」に泊まった記憶は私の中に全くなく、懐かしさというものは全く感じませんでした。

しかし「万葉の岬」からの眺めは想像をはるかに超えた絶景でした↓

言葉で語るまでもない絶景です。眼下に広がる瀬戸内海は真夏の太陽に照らされてキラキラしており、対する上空は真っ青な空に白い雲が浮かんでいました。そんな素晴らしい景色を私はしばらく眺めていました。

余生を過ごす新幹線たち

500系新幹線

翌8月14日―今回の旅の初日、家族と別れた私は新幹線で岡山駅に移動しました。その道中、当初の役目を終えて余生を過ごす2つの新幹線に出会いました。

一つは500系新幹線。高速性を追求して設計されたこの車両は、かつては新幹線「のぞみ」の顔として活躍し、営業最高速度で夢の300km/hを初めて達成した”最速”の列車です。

しかし高速性と住居性の両立を図ったN700系新幹線の登場により活躍の場を奪われ、2010年2月を最後に「のぞみ」の定期運用を終了、東海道新幹線からは姿を消しました。

そして2019年現在、各駅停車である「こだま」として山陽新幹線区間で余生を過ごしています。

そんな500系新幹線を捉えた姿(2017年8月14日当時)がこちら↓

いずれも反対方向だったため乗車したわけではありませんが、通常塗装と特別塗装の2本の500系を捉えた貴重な機会でした。

“最速”と呼ばれながらもう300km/hで運転することはない500系新幹線―そう思うと非常に残念でもどかしいものがあります。

しかし時代の流れの中で栄枯盛衰は常にあるもの。是非とも引退までの間、少しでも長く走り続けてほしいと願っています。

700系「ひかりレールスター」

そして岡山駅の道中で出会ったもう一つの新幹線が700系「ひかりレールスター」です。

2019年現在の主力であるN700A新幹線のルーツである700系新幹線。その中でも異質な存在であったのが700系7000番台、通称「ひかりレールスター」です。

「ひかりレールスター」は90年代後半にかけて航空機に奪われていた山陽新幹線区間の乗客を奪還することを目的に2000年に登場した列車でした。

700系新幹線をベースに作られましたが、その外観は従来までの青のラインではなく、イエローのラインが入っている異質な列車でした。

「ひかりレールスター」は航空機から乗客を奪還するという役割を果たし、山陽新幹線の顔として長らく活躍してきました。

しかし2011年の九州新幹線の全線開業とともに「ひかりレールスター」としての運用は減少。現在はほとんどが「こだま」としての運用となり、「ひかりレールスター」としての運用は1日わずか3本しかありません。

今回捉えた&乗車したのは、「こだま」として運用されている「ひかりレールスター」の車両でした。

「ひかりレールスター」もまた当初の役割をほぼ終え、そのほとんどが「こだま」としての余生を過ごしています。黄色い帯の異質な新幹線―引退はまだ先になると思われますが、いずれにせよ少しでも長く走り続けてほしいと願っています。

 


おまけが長くなりましたが、今回の記事はここまでとなります。

翌日は今回の旅のメインである三江線に乗車します。翌2018年4月1日をもって廃止となった全長100kmオーバーの長大ローカル線。波乱含みの過酷な旅路が幕を開けますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。

 

続きは「在りし日の三江線・片道8時間の旅(前編)―2017年 中国地方のローカル線を巡る旅・Part3」へ

「2017年08月 中国地方のローカル線を巡る旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

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