6・7日目 後編(2013/3/3~3/4)
(「在りし日の日高本線 146.5kmの旅―2013年 北海道一周の旅・Part5」の続き)
旅行6・7日目の行程:
10:20 苫小牧駅 → (日高本線) 13:30~14:30 様似駅 → (日高本線) 18:00 苫小牧駅 → 19:40 札幌駅 (いまここ!)→ 22:00 夜行急行「はまなす」 → 翌5:40 青森駅 → 6:10 新青森駅 → (東北新幹線) 9:00 大宮駅 〈完〉
※この旅行記は2018/12/31公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。
夜行急行「はまなす」乗車記
JR最後の夜行急行「はまなす」
苫小牧駅18時47分発の特急列車に乗車した私は、19時40分頃に札幌駅に到着しました。札幌駅に到着した私は、駅ビルで食事を取ったり、駅構内のベンチに腰掛けたりしながらきたるときを待ちました。
そして21時40分頃、札幌駅5番線ホームにお目当ての列車が入線しました。”JR最後の夜行急行”と呼ばれた急行「はまなす」青森行きです。
急行「はまなす」は、かつて札幌駅と青森駅の間を結んでいた夜行急行列車(2013年当時は1日1往復)で、JRグループで唯一残る急行列車であったことから”JR最後の夜行急行”として知られていました。
急行「はまなす」は寝台特急「北斗星」と同じ青色の客車を用いた夜行列車でした。ベッドが置いてあるB寝台の他に、椅子が並べられた自由席や指定席、そしてカーテンで仕切られた半個室で雑魚寝ができる通称「カーペットカー」といった様々な座席を備えていた列車でした。
- 急行「はまなす」の機関車
- 急行「はまなす」の方向幕
- 急行「はまなす」の最後尾の客車
- 急行「はまなす」の4号車(通称:のびのびカーペットカー)
今回、私は通称「ドリームカー」と呼ばれていた指定席車両(5号車)に乗車しました。
- 急行「はまなす」の5号車
- 急行「はまなす」の5号車乗降口
- 急行「はまなす」5号車の号車案内板とドリームカーのロゴ
- 急行「はまなす」の急行券
ドリームカーの車内は下の写真のようにベッドではなく座席が配置されていました(夜行バスの列車版と考えてもらって差し支えないと思います)。
- 急行「はまなす」5号車の車内
定刻では札幌22時00分発でしたが、前日の爆弾低気圧の影響で遅れていた稚内発の特急列車からの乗り換え客を待つため、発車が遅れることになりました。
そして定刻から12分遅れの22時12分ごろ、列車はゆっくりと札幌駅を出発しました。ここから青森駅までの約7時間40分の旅が始まりました。
急行「はまなす」で過ごす北海道最後の夜
札幌駅を出てしばらく経つと車窓には漆黒の闇が広がっていました。車内にはしばらくは灯りがついていましたが割と早い段階で減灯され、車内は薄暗くなりました。
私が乗車した「ドリームカー」の座席は、新幹線などの普通の座席よりも深いリクライニングになっており、最大145度まで倒すことができる仕様になっていました。私も他の乗客にならいリクライニングを倒して眠るまでの間を過ごしました。
「ドリームカー」の車内には満席に近い数の乗客が乗車していました。それにも関わらず薄暗い車内には線路の継ぎ目でカタンコトンという音と、たまに通過する踏切のカンカン音しか聞こえず、とてつもなく静かでした。そのためか眠るまでの間、何とも言えない不思議な感覚に襲われていたことを7年半経った今でも覚えています。
減灯後は停車時のアナウンスもなく、停車駅に近づくと減速して静かに停車し、そして静かに発車するというのを繰り返していました。そして日付が変わった午前0時20分頃、室蘭本線の伊達紋別駅に着いたのを確認したのを最後に私は眠りにつきました。
夜明け前の津軽線を行く
あれからどれくらい寝たのだろうか、ふと目を覚まして窓の外を見ると列車は後向きに走っていました。寝起きだったこともあり最初はそのことに戸惑いましたが、よくよく考えると函館駅で進行方向が逆になったのだと思い当たりました。
窓の外は暗かったものの少しだけ明るくなっているようでした。この旅の初日に乗った寝台特急「北斗星」では午前4時頃まで眠れませんでしたが、今回は2度目の夜行列車ということもあり比較的すんなりと眠ることができたようです。
———-
さて起きてしばらくすると列車は青森県北部にある津軽線の蟹田駅を通過しました。つまり青函トンネルを抜けてすでに本州に上陸しているということです。
ふと隣の座席を見ると、昨日まで横に座っていた人はいなくなっていました。函館駅で降りたのかなと思いつつ手洗いに行くために席を立ってみると、隣にいた人が後ろの空席に移動していました。私の寝相が悪くてたまたま空いた席に移動したのか、その人が広い場所を好んで空いた席に自ら移動したのか。それは今でも分からないままです。
手洗いから戻った私は席に座り、少し眠たい中、薄暗い車窓を眺めていました。そしていつしか車内には終点の青森駅到着の案内が流れました。
終点・青森駅
午前5時40分、列車は定刻通り終点の青森駅に到着しました。日の出前の一番寒い時間帯ということもあり、とても寒く感じたことを覚えています。
青森駅では向かいのホームに停まっていた特急「つがる2号」に乗り換えますが、乗り換え時間はわずか4分しかありませんでした。そのため、車両の先頭に向かい「はまなす」の写真を1枚だけ撮影した後、「はまなす」の雄姿を背に向かいのホームに停まっていた特急「つがる2号」秋田行きに飛び乗りました。
- 青森駅で撮影した急行「はまなす」
- 青森駅の駅名標
- 特急「つがる2号」最後尾
そして私を乗せた特急「つがる2号」秋田行きは定刻通りに青森駅を発車しました。
———
青森駅と札幌駅を結んだ”JR最後の夜行急行”「はまなす」ですが、寝台特急「北斗星」と同様に北海道新幹線開業と老朽化の波には勝てず、今回の旅行の約3年後、2016年3月26日に廃止となりました。
しかし寝台特急「北斗星」や「あけぼの」が一足早く2015年に相次いで廃止となる中、「客車を使用した最後の夜行列車」として少しだけ長く生き延びた列車となりました。
急行「はまなす」廃止をもって客車使用の夜行列車およびJRの急行列車は完全に消滅し、一つの時代に幕が降りたのでした。
そして今回の旅行が夜行急行「はまなす」に乗車する人生最初で最後の機会となりました。
旅の終わり~人生初の東北新幹線~
これを持って北海道の旅は終わりとなりますが、旅自体は自宅に戻るまで続きます。特急「つがる2号」に乗った私は隣駅の新青森駅で下車しました。ここからは東北新幹線で一気に大宮駅まで向かいます。
- 新青森駅 在来線ホームの駅名標
新青森駅は上野駅から北へと延びる東北新幹線の終着駅です。新青森駅は開業自体は1986年と古いものの、東北新幹線の新青森延伸に合わせて新駅舎が2010年に開業しています。そのため駅構内はとてもきれいに感じました。
さて新青森駅に来るのも東北新幹線に乗るのも今回が初めてでした。在来線ホームから駅構内を歩いて新幹線ホームへと向かうと、ホームには新青森駅の始発列車である「はやぶさ4号」が停まっていました。
車両は新青森延伸に合わせて投入された当時最新のE5系。スタイリッシュな姿と鮮やかなエメラルドグリーンの車体とが相まってかっこよくてきれいな車両だと感じました。
車体側面のはやぶさを意識したロゴもまたかっこよく、つくづくいい車両だと感じました。
- 「はやぶさ4号」の先頭車
- 「はやぶさ」のロゴ
- 「はやぶさ4号」の側面に貼られた「つなげよう、日本」のシール
- 「はやぶさ4号」の方向幕
- 新青森駅 新幹線ホームの駅名標
- 新青森駅 新幹線ホームの東京側からの眺め
車内に入ると茶色のシックな壁とオレンジ系の明るい照明とが相まったおしゃれなデッキが姿を現します。そこから自動扉を経て座席スペースに入り、発車のときを待ちます。
そしてまだ薄暗い中、列車は定刻通り午前6時10分に東京に向かって出発しました。
———
さすがに朝が早かったことと、これまでの長旅の疲れ、そして座席が心地よかったのと相まって、私はかなりウトウトしながら過ごしていました。
そして新青森駅から約2時間50分後の午前8時59分、列車は大宮駅に到着しました。大宮駅に降り立った私は在来線の地下ホームへと向かい、入線してきた埼京線の205系列車に乗り込み自宅への帰路につきました。
- 大宮駅 新幹線ホームの駅名標
- 今は亡き埼京線の205系列車
ここまで新装版旅行記の第一弾となる「2013年02月 北海道一周の旅」の旅行記を書いてきましたが皆さまいかがだったでしょうか。私が当ブログを開設した時に初めて書いた旧版旅行記をベースに書き直してみましたが、改めて書いてみると旅行当時のことを思い出して懐かしい気分になりました。
私にとっては人生初の長期旅行&冬の北海道旅行となった今回の旅行。その雰囲気を少しでも味わえて頂けたら幸いです。
以上をもって「2013年02月 北海道一周の旅」の旅行記を終わりにしたいと思います。
次回からは2019年1月~2月に渡り公開した「2017年08月 中国地方のローカル線を巡る旅」の旅行記を再編集していきたいと思います。2018年春に廃止になった三江線の旅を中心に岡山・広島・島根のローカル線に乗った記録を備忘録として残していきたいと思います。
次回以降も是非ともご愛読くださいますようよろしくお願いします。
「2013年02月 北海道一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら
コメント