6・7日目 前編(2013/3/3~3/4)
(「吹雪吹く富良野線の旅―2013年 北海道一周の旅・Part4」の続き)
旅行6・7日目の行程:
10:20 苫小牧駅(いまここ!) → (日高本線) 13:30~14:30 様似駅 → (日高本線) 18:00 苫小牧駅 → 19:40 札幌駅 → 22:00 夜行急行「はまなす」 → 翌5:40 青森駅 → 6:10 新青森駅 → (東北新幹線) 9:00 大宮駅 〈完〉
※この旅行記は2018/12/1公開の旧版旅行記を基に再編集したものです。
在りし日の日高本線 146.5kmの旅
日高本線 146.5kmの旅
この日の苫小牧は、前日までと打って変わって澄み切った青空が広がっていました。”台風一過”ならぬ”爆弾低気圧一過”の青空といったところでしょうか。
- 前日とは打って変わり青空が広がる苫小牧駅
この日に乗車したのは、苫小牧から南東に延びている日高本線という路線です。
2021年現在の日高本線は苫小牧と鵡川を結ぶ全長30.5kmの短い路線となっています。
しかしかつては工業都市・苫小牧から日高山脈の南端・アポイ岳の麓町にある様似駅までを結ぶ全長146.5 kmの長大路線でした。
かつての日高本線は車窓から雄大な太平洋や北海道ならではの牧草地帯などを望むことができる風光明媚な路線として知られており、鉄道ファンの間では人気のある路線でした。
しかし2015年1月以降の相次ぐ高潮・豪雨・台風被害により、かつての日高本線の約8割にあたる鵡川~様似の区間が運休となりました。そして2021年4月1日、運転が再開されることのないまま鵡川~様似の末端区間116.5kmは廃止となりました。
ここから書くのは長期運休の2年前、在りし日の日高本線 最初で最後の乗車記です。
日高本線(苫小牧~様似)
苫小牧駅に入線した列車はこの旅行で乗りなれたキハ40系の普通列車でした。しかし外装は今までのキハ40系とは異なり、黄緑色ではなく青と白の2色にピンク色のラインが入った列車でした。列車側面には日高山脈をモチーフとしたロゴも入っていました。
- 乗車した日高本線の列車。青と白で彩られたキハ40系(途中の静内駅で撮影)
- 車体側面に印字された日高本線のロゴ
私はこの列車に乗り込み、太平洋を望める進行方向右手に座りました。そして午前10時18分、列車は定刻通り苫小牧駅を出発しました。
車窓の中で印象に残っているのは海沿いギリギリを走る区間。車窓からは雄大な太平洋が見えています。
そのどこまでも広がる太平洋そのものの光景もさることながら、この日は前日吹雪だったとは思えないような青空が広がっていました。そのため、車窓から見える太平洋は太陽に照らされており、波の動きに合わせてギラギラとまぶしく光り輝いていました。
あまりのまぶしさに目を細めてしまうときもありましたが、私はそんな雄大な光景に心奪われていました。
やがて列車は途中駅である静内駅に停車しました。ここ静内駅ではしばらく停車するとのことだったので、車外に出て軽く散策しました。
- 静内駅 駅名標・名所案内
- 静内駅構内の様子
静内駅は日高本線の主要駅の一つと言うこともあり、駅舎はかなり大きめでした。駅前には広々としたロータリーが広がっており、その中央には馬のオブジェと「新ひだか町」と書かれた赤文字がありました。
- 静内駅 駅舎
- 静内駅 駅前。新ひだか町と書かれた文字板の上に馬のオブジェがあった
静内駅を出発した列車は引き続き南へと進んでいきます。そして苫小牧を出発してから実に約3時間20分、列車は遂に日高本線の終点・様似駅に到着しました。
在りし日の終点・様似駅
様似駅のホームに降り立つと、空気が澄んでおりきれいな感じがしました。そして周りを見渡すと遠くに雪化粧した山々が目に飛び込んできました。
雪化粧した山々と澄み切った青空、そして澄んで冷たくきれいな空気―そんな神秘的な情景に感動したことを今でも覚えています。
- 様似駅ホームから望む山々(おそらくはアポイ岳などの山々か)
さて日高本線はこの様似駅が終点ですが、駅前からバスでさらに南に進むと半島の南端・襟裳岬にまで足を運ぶこともできます。
しかし今回は旅程の都合上、襟裳岬へは向かわないことにし、次の列車が発車するまでの約1時間は様似駅周辺に留まることにしました。
- 様似駅の駅名標
- 様似駅の名所案内板
- 様似駅構内の様子
- 様似駅 ホーム出口
- 様似駅 駅舎内の様子
- 様似駅 駅舎併設の観光案内所の看板
様似駅の駅舎は白と緑を基調とした駅舎で、観光案内所が併設されていました。
- 様似駅 駅舎
- 様似駅の駅舎入り口横に設置されたオブジェ
駅前には襟裳岬行きのバスが発着するバス停・待合室などがある駅前ロータリーと、国道336号へと延びる広々とした駅前通りがありました。
- 様似駅の駅前通り
- 様似駅 駅前ロータリー。奥に見える緑の三角屋根の建物が駅前のバス停の待合室
- 様似駅 駅前にあるおしゃれな公衆トイレ
駅前ロータリーからも雪化粧した日高山脈・南端のアポイ岳と思われる山々を見渡すことができました。
- 様似駅の駅前ロータリーから見渡す雪化粧した山々(写真はピンボケしています・・・)
様似駅は日高本線の終着駅ですが、線路は駅舎付近からさらに約100mほど東へと延びていました。その線路沿いには日本庭園風に石や松の木が置かれた「stプロムナード 憩」という小スペースになっていました。
- 様似駅 東側の線路沿いにある「stプロムナード 憩」の看板
- 線路沿いに延びる「stプロムナード 憩」
- 様似町の観光名所「親子岩」をモチーフとしたモニュメント
そしてその東端まで向かうと岩々の隙間からようやく線路の終端を表す車止めが見えてきました。苫小牧から続いた146.5kmに及ぶ鉄路もここで終わりを迎えます。
- 様似駅の線路の車止め(写真は少しピンボケしています)
様似駅にはちょうど昼時に着いたということもあり、事前に調べておいた定食屋に向かうことにしました。
様似駅から徒歩5分のところにある「水鶏(くいな)」という貨車を改造してできたラーメン屋です。
- 様似駅から徒歩5分の定食屋「水鶏(くいな)」。この日は休業日のためか店が閉まっており食べることができなかった
ところがお店に行ってみると、その日は定休日なのか店が閉まっていました。そのため結局そこでは食べることができず、駅に戻ることにしました。
———
様似駅の駅窓口では記念乗車券を購入しました。記念乗車券は3種類あり、普通の乗車券の他に、半島最南端・襟裳岬のイラスト入り乗車券、そして様似町にある日高山脈・南端のアポイ岳のイラストり乗車券がありました。
- 様似駅で購入した記念乗車券
様似駅に到着してから約1時間、私は様似駅に到着後ずっと停泊していた行きと同じ列車に乗り込みました。そして14時34分、列車は苫小牧へと向かい発車しました。
- 様似駅から折り返す普通・苫小牧行き
- 車内で発行された様似駅の整理券
苫小牧への帰路
様似駅を出発した列車は来た道を苫小牧方面へと戻っていきます。私は進行方向右側の山側の席に座ったことは覚えていますが、山側の車窓についてはあまり覚えていません。
途中の静内駅では行きと同じく下り列車との行き違いのためにしばらくの間、停車するとのことでした。私は再び静内駅のホームに降り立ち写真を撮りました。
- 静内駅2番線に停車中の普通・苫小牧行きの列車
- 静内駅 駅名標(2番線側)
- 静内駅から様似方面を望む
- 夕暮れの静内駅で行き違う2本のキハ40系
静内駅を出発した列車は夕暮れの中を北へと向かい走ります。
そして日が暮れかけた17時54分、列車は定刻通り苫小牧駅に到着しました。
———
こうして爆弾低気圧の影響により急きょ乗車した日高本線の旅。時間つぶしのつもりで乗車したのですが、太陽に照らされた雄大な太平洋や終点・様似から望む雪化粧したアポイ岳など、想像を遥かに超えた絶景を目の当たりにすることになりました。
そして時が経った頃に日高本線にもう一度乗車したい。当時の私はそう思っていました。
しかしその願いが叶うことはありませんでした。
当時の旅を振り返って思うこと
上でも書いた通り、この旅行の約2年後の2015年1月、爆弾低気圧に伴う高波で海沿い区間の路盤が流出。さらにその後も復旧が進まないまま度重なる台風や豪雨災害を受けた日高本線。
これにより様々な箇所で路盤の流出や橋梁の崩壊などが発生、路線の8割にあたる鵡川~様似の区間は長期運休を余儀なくされました。
そして2021年4月1日、鵡川~様似の区間は復旧することなく廃止となってしまいました。
廃止区間には太平洋を一望できる区間も含まれていました。そのため列車から太平洋を一望することは二度とできなくなりました。
そしてあの神秘的な情景を見せてくれた様似駅に列車で訪れる機会は二度となくなってしまいました。
———
今回の廃止はとても残念でした。
しかし同時に、いやそれ以上に思うことがあります。それは鵡川~様似が運休となるわずか2年前の旅行で、日高本線を訪れたのは奇跡だったのではないかということです。
そもそもの旅程では日高本線を訪れる予定は全くなく、たまたま爆弾低気圧で稚内行きを断念したために訪れることができたのです。
反対にもしあの爆弾低気圧が来なければ、おそらく私は日高本線の大部分に一生乗ることができなかったはずです。
そう考えると、爆弾低気圧があのタイミングで襲ったのは、私を日高本線に導くための天か何かの気まぐれ、というより運命だったのではないか。
大げさかもしれませんが、あの旅行から7年半たった今もそう思っています。
6日目の途中ですが今回の旅行記はここまでとなります。当時は車窓の写真を撮っていなかったこともあり記憶もだいぶ薄れてしまっていますが、在りし日の日高本線に乗車できたことは後々振り返ると思い出深い出来事の一つになりました。
この後は今は亡き夜行急行「はまなす」に乗車して旅の終わりを迎えますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。
続きは「夜行急行「はまなす」乗車記―2013年 北海道一周の旅・Part6」へ
「2013年02月 北海道一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら
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