異国と歴史の街・平戸ミニ観光―2018年 九州北部一周の旅・Part19

4日目・前編2(2018年12月18日)
~異国と歴史の街・平戸ミニ観光~

(「日本最西端のローカル線・松浦鉄道の旅〈前編〉―2018年 九州北部一周の旅・part18」の続き)

旅行4日目の行程:7:30 佐世保駅→8:10 松浦鉄道(有田側)→10:00 平戸ミニ観光(いまここ!)→12:30 松浦鉄道(佐世保側)→14:10 佐世保駅→15:00 JR大村線・長崎本線→18:00 長崎駅→19:00 夜の長崎観光(出島散策)→21:00 長崎駅(泊)

異国と歴史の街・平戸島へ

平戸島 上陸

日本最西端の駅・たびら平戸口駅を後にした私は、駅前の短い通りを突きあたりまで進んで左に曲がり、国道204号を歩いて西肥バス「平戸口駅前バス停」にやってきました。

バス停の裏は住宅の駐車場になっていたので歩道代わりになりましたが、駅前からバス停へと向かう国道204号は道幅も狭く歩道もなかったため、後ろから車に接触されないように注意しながら歩きました。たびら平戸口駅からバスで平戸島へと向かう観光客の足を考えたら危ないな…と思っていると、平戸島の玄関口・平戸桟橋へと向かう西肥バスがやってきました。

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私を乗せた10時3分発の平戸桟橋行きのバスはしばらく国道204号を走り続けました。やがて車窓の右手からは平戸島へと向かう真っ赤な平戸大橋が見えてきました。

バスは国道204号を離れ、平戸大橋を渡ります。車窓からは海と島々が織りなす幻想的な光景が広がっていました。

平戸大橋を渡り切ったバスは平戸島に上陸し、平戸島の玄関口にあたる平戸桟橋へと向かいました。そして平戸口駅前からバスに乗車して約20分後の10時25分頃、バスは終点の平戸桟橋バス停に到着しました。

平戸桟橋(平戸市観光交通ターミナル)

バスから降りると、バス停の目の前には「平戸市観光交通ターミナル」と書かれた建物が建てられていました。

こちらの平戸市観光交通ターミナル(平戸桟橋)はその名の通り平戸島の観光と交通の拠点になっています。西肥バスと生月バスが乗り入れる平戸桟橋バス停、離島へのフェリーの発着する平戸港、タクシーが発着するロータリーが併設されており、建物の中には平戸市観光案内所などが入っています。

平戸市観光交通ターミナルの建物の中は和を感じさせるような造りをしていました。

平戸交通観光ターミナルの前の道路には歴史を感じさせるような趣のある建物が建てられていました(下の3枚目の写真)。後ほど出てきますが、平戸島にはこうした古い建物や町並みが幾つか残っていました。

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さてここから平戸島を観光するのですが、旅程の関係で私が観光できる時間は多く見積もっても1時間40分程度でした。事前に調べた限りでは平戸島の観光スポットはそこそこ距離があるので、徒歩ではほとんど回れず(平戸城を見るだけで精いっぱいか)、またバスも本数が多くないので今回のような短時間の滞在には使えなさそうでした。

そこで私は、平戸市観光案内所で借りることができるレンタサイクルを使って観光することにしました。

平戸市観光通ターミナル内に併設されている平戸市観光案内所に向かった私は、係の人にレンタサイクルを借りたい旨を伝えました。料金は4時間で500円、24時間なら1000円(※2020年9月時点)。今回は2時間弱しか乗らないので料金の半分くらいムダになってしまいますが、もともと安いので特に気にしませんでした。加えて今回は係の人が無料でスーツケースを預かってくれることになった(※)ので、コインロッカー代も浮きました。

※レンタサイクルする人なら誰でもそうしてくれるのか、その係の方のご厚意だったのかは不明ですので、本記事を読んでレンタサイクルしたのに荷物を無料で預かってくれなかったと怒ったりしないでください。またレンタサイクルする人限定みたいな話をした記憶がありますので、バスや徒歩、タクシーなどで観光する人の荷物は預かってくれないと思います(平戸市観光交通ターミナル内にコインロッカーがありました(2018年12月当時))。

借りた自転車は電動アシスト自転車。レンタサイクルではおそらく珍しい(?)ですが、平戸島は坂の街なので、特に平戸城に向かう時にはかなり助かりました。

こうして自転車にまたがった私は、ここから約1時間30分の平戸ミニ観光へと向かいました。

平戸港交流広場

平戸桟橋を後にした私は、平戸桟橋の横から続く海(平戸港)沿いの遊歩道へと出ました。

遊歩道からは平戸港や高台の上で建てられた平戸城などを一望することができました。

そんなのどかな風景と波音を聞きながら自転車を進めるとちょっとした広場に到着しました。

ここは平戸港交流広場という広場で、海沿いの遊歩道と道路の間の細いスペースに造られた小さな広場でした。

この広場には「じゃがたら娘像(※)」と呼ばれる女性の像や、オランダ船の模型、ポルトガル線入港碑などが建てられており、かつてここが異国との交流の地であったことを改めて感じました。

※じゃがたら娘像…鎖国(外人・キリシタンの追放や外国との貿易停止)を進めていた江戸幕府は1639年、平戸に滞在していたオランダ人や英国人に嫁いだ日本人の女性とその間にできた子供をバタビア(ジャガタラ、後のジャカルタ)に追放しました。40人余りの女性と子供が追放され、その後二度と日本の地に足を踏み入れることができませんでした。そんな彼女たちを偲んで建てられたのが「じゃがたら娘像」だそうです。

私はそんな石碑や像を眺めたり、広場から見る平戸港の海を一望したりしました。

寺院と教会の見える風景

平戸港交流広場を後にした私は、海沿いを走る道路(海岸通り)から一本陸側を道路(宮の町本通り)に出ました。

この辺りには平戸の古い町並みが残されており、どこかタイムスリップしたような気分になりました。

私はここからパンフレットに書かれていた観光スポット「寺院と教会の見える風景」に向かいました。

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少し道に迷いましたが、地図を見ながらさらに陸側の細い路地を進んでいくと急な階段が見えてきました。私はここで自転車を降りてこの急な階段を上りました。

階段を上り切ると、鬱蒼とした細い路地の奥に寺院が見えてきました。

そして寺院と教会が同時に見えるという瑞雲寺の入り口に到着しました。

そこから路地の方に目を向けると、寺院の建物越しに遠くに教会が見えていました。

ここが平戸島の観光スポットである「寺院と教会の見える風景」です。平戸市を代表する景観にもなっている観光スポットで、西洋の代表である教会(聖フランシスコ・ザビエル記念教会)の十字架と日本古来の寺院(瑞雲寺・光明寺・正宋寺)の建物を同時に見ることができる場所になっています。

…と平戸市の観光サイトを基に書いては見ましたが、正直なところ微妙な感じでした。確かに寺院と教会が一緒に見えるけれど、かなり遠くに見えるので生で見るとそこまでありがたみを感じることができませんでした(平戸市の皆さん、ごめんなさい!)。

とは言え、趣のある風景ですし、日本と西洋の融合を生で見ることができる貴重な場所ですので、行ってみたこと自体は良かったと思っています。

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ちなみに帰り道の階段の上からはこんな風景も一望できます↓

映画のワンシーンになりそうな良い写真を撮ることができました。

幸橋(オランダ橋)

「寺院と教会の見える風景」を後にした私は、階段を降りて再び自転車にまたがり、反対側の高台に建つ平戸城を目指しました。

その道中には、幸橋(さいわいばし、別名「オランダ橋」)と呼ばれる石造りのアーチ橋がありました。

この橋は江戸時代に建てられた橋で、船で渡るか陸路を大回りしないと行けなかった平戸城と城下町の間を行き来しやすくするために作られた橋だそうです。1669年に松浦家第29代当主(平戸藩4代藩主)の松浦鎮信によって木造の橋が架けられましたが、経年劣化で崩壊したため、1702年に松浦家30代当主(平戸藩5代藩主)の松浦棟によって石造りのアーチ橋に建て替えられました。このときのアーチ橋が現代まで修復されながら残されており、国の指定重要有形文化財に指定されています。

上の写真のように水面に反射して映るアーチ橋は、長崎の眼鏡橋を彷彿とさせます。

平戸城

この幸橋の横に架けられた普通の道路橋を渡った私は、平戸城へと向かいました。

途中から自転車で細い道路を駆け上ったりして進むこと約10分弱、私は平戸城の北側にある駐車場に到着しました。周りは木々に囲まれ少し鬱蒼としていましたが、ここから平戸城へと向かう階段が延びていました。

私はこの階段を上り、平戸城の中へと向かいました。

※ちなみに平戸城の西に広がる亀岡公園を通り抜けるのが平戸城跡の本来の観光ルートのようでした。亀岡公園は平戸城跡の一部で、大手門の跡や多くの石碑、明治天皇の祖母・中山愛子氏の墓や亀岡神社などが建てられています。今回は観光時間が少なかったのもあり天守閣に直接向かえる北虎口門ルートを選択し、真っすぐ天守閣へと向かいました。

この階段を上ると、目の前には門(北虎口門)が見えてきました。

この門をくぐると、そこには天守閣に入るためのチケットの販売口がありました。私はここでチケットを購入しました。

チケット売り場のすぐ脇には「狸櫓」と呼ばれる櫓が建っていました。中はガランとしており、壁沿いのパネルに平戸城の歴史や構造などが書かれていました。

そこからさらに階段を上ります。

そして階段を上ること数分、目の前に平戸城の天守閣が見えてきました。

こちらの天守閣は1962年に復元された建物(模擬天守)ということもあり、比較的新しい感じがしました(ちなみに平戸城跡に建つ建物のうち、江戸時代から現存するのは先ほど紹介した北虎口門と狸櫓のみ)。

平戸城の模擬天守の中は資料館になっており、平戸やここを治めた松浦氏に関する歴史的資料が数多く展示されていました。

そして最上階は展望スペースになっているのですが…

なんとフロアの外の細い通路に出ることができます↓

天守閣の外通路は天守フロアを一周する形で延びており、四方から平戸の市街地や海を一望することができます。真下を見るとスリリングではありますが、遠くを見ればとてもいい眺めで気持ち良かったです。

一通り見終わった後は、望遠レンズに切り替えて、平戸市を代表する建物たちを撮影しました(ちなみに練習を除けば望遠レンズを使うこと自体がほぼ初めてだったので、あまりのクッキリさに驚きました)。

そして一通り撮影を終えた後は、風に吹かれながら平戸港周辺を全て一望できるこの光景をしばらく眺めていました。

聖フランシスコ・ザビエル記念教会

平戸城を後にした私は、自転車で坂道を駆け下り平戸市の市街地に戻ってきました。

平戸ミニ観光を始めてから約1時間20分、時刻は午前11時45分を過ぎていました。次のバスまでは約20分。自転車を返却する時間も考えてここで平戸桟橋に引き返すか、予定通り聖フランシスコ・ザビエル記念教会に向かうか迷いました。しかし平戸島に来る機会はそうそうないだろうと考えた私は、結局ギリギリになること覚悟で聖フランシスコ・ザビエル記念教会に向かいました。

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平戸の市街地から自転車で坂道を駆け上ること約5分、私は聖フランシスコ・ザビエル記念教会に到着しました。

聖フランシスコ・ザビエル記念教会(平戸ザビエル記念教会)は大正時代に入った1931年に建てられた教会ですが、平戸市を代表とする教会であることから平戸市の観光スポットになっています。

教会はおとぎ話に出てきそうなお城みたいな外観をしており、上には十字架が掲げられていました。

中を見学することもできるそうですが、今回は時間がなかったためすぐに教会を後にし、平戸桟橋へと向かいました。

平戸島からの帰路

聖フランシスコ・ザビエル教会を後にした私は、坂道を自転車でゆっくり下っていきます。途中の坂の上からは平戸港を見渡すことができ、改めていい街だなと思いました。

平戸桟橋に戻ると、ちょうど回送のバスが走り去るところでした。
そのバスの方向幕に注目↓

見えずらいかもですが、方向幕には「すみません回送中です」と書かれていました。謙虚でクスッと笑える粋な方向幕でした(下の英語も「Sorry. Out of service」と書かれていました。)

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自転車を平戸市観光案内所に返して、預かってもらっていた荷物を受け取った私は、平戸市観光交通ターミナルの中でバスの発車時刻を待ちました。

そして12時10分、私を乗せた松浦駅前行のバスは平戸桟橋バス停を後にしました。

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平戸桟橋を発車して約8分、バスは平戸大橋を渡ります。

この平戸大橋を渡り切ると、いよいよ平戸ミニ観光も終焉を迎えます。

平戸大橋を渡り切ったバスは、国道204号を北へと向かいます。赤い平戸大橋を背に進むバスの車内で、私は平戸島で見たことを思い浮かべたり、今後の予定を見直したりしながら日本最西端の駅・たびら平戸口駅へと向かいました。

 


4日目の途中ですが、今回はここまでとなります。

この後は、たびら平戸口駅から松浦鉄道に乗車して終点の佐世保駅へと向かいますが、続きは次回の記事で書きたいと思います。

 

続きは「日本最西端のローカル線・松浦鉄道の旅〈後編〉―2018年 九州北部一周の旅・part20」へ

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