3日目・中編(2018年12月17日)
~夕焼け染まる佐世保港へ~
(「弥生時代へ!佐賀・吉野ヶ里遺跡を歩く〈後編〉―2018年 九州北部一周の旅・Part14」の続き)
旅行3日目の行程:10:00 吉野ヶ里遺跡→14:40 JR長崎本線・佐世保線(いまここ!)→16:20 佐世保駅・佐世保港→ 18:00 ハウステンボス→21:30 佐世保駅(泊)
JR長崎本線・佐世保線の旅
吉野ヶ里公園駅
吉野ヶ里歴史公園を後にした私は、正門前のバス停から吉野ヶ里町コミュニティバス(平日のみ運行)に乗車し、吉野ヶ里公園駅に戻ってきました。その後は前日宿泊したホテルに向かい、預けている荷物を回収してから再び吉野ヶ里公園駅にやって来ました。
時刻は14時30分頃。次の列車は14時36分発のJR長崎本線からJR佐世保線に直通する普通・早岐行きの列車でした。
- 吉野ヶ里公園駅の発車案内板
- 吉野ヶ里公園駅のホーム
1番線に向かうとホーム上には数人いましたが、佐賀県屈指の観光地・吉野ヶ里遺跡の最寄り駅とは思えない少なさでした(この日は平日の月曜日だった上、吉野ヶ里公園駅へは3駅隣の佐賀駅からのバスで向かう人も多いそうなので…)
- 吉野ヶ里公園駅 1番線ホーム
- 吉野ヶ里公園駅 2・3番線ホーム
- 吉野ヶ里公園駅の駅名標
ホームの佐賀駅側へと向かうと、ホームからはのどかな田園風景が広がっていました。
- 吉野ヶ里公園駅のホームからの眺め
- 吉野ヶ里公園駅 1番線から佐賀方面を見る
- 吉野ヶ里公園駅
- 吉野ヶ里公園駅の側線に停車中の保線用車両
そこで待つこと約5分、吉野ヶ里公園駅に14時36分発のJR佐世保線直通の普通・早岐行きが入線しました。私はこの列車に乗車し、終点の早岐駅まで向かいます。
- 吉野ヶ里公園駅に入線する普通・早岐行きの列車
JR長崎本線(吉野ケ里公園~肥前山口)
吉野ヶ里公園駅を出発した列車は、間もなく先ほどまでいた吉野ヶ里歴史公園の南端を通過しました。吉野ヶ里歴史公園を通過すると、車窓には田園風景が広がっていました。
- JR長崎本線の車窓(神埼駅付近)
吉野ヶ里公園駅を出発してから11分後の14時47分、列車は3駅隣の佐賀駅に到着しました。佐賀駅は佐賀県の県庁所在地・佐賀市の中心駅で、JR長崎本線と2駅先の久保田駅が起点であるJR唐津線の2路線が乗り入れています(※1987年まではJR鹿児島本線の瀬高駅までを結んでいた国鉄・佐賀線の始発駅でもありました)。
列車は約1分間停車した後、さらに西へと向かい走り続けます。途中には鍋島駅、JR唐津線の起点駅である久保田駅、赤レンガ風の駅舎に江戸時代の歌が掲げられていた牛津駅の3駅がありました。
- 鍋島駅の駅舎。写真中央の駅名標が珍しい木製だった
- 牛津駅の赤レンガ風駅舎。掲げられた幕には江戸時代の牛津を歌った歌が書かれている
※牛津駅に掲げられた歌の意味
…牛津はかつて江戸時代に佐賀藩の支藩であった小城藩の城下町で、長崎街道の宿場町や有明海に面した港を有しており、西の浪花(なにわ)と言われるほど商売で栄えていた街だったそうです。かつては船着き場のことを”津”と呼んでおり、宿場町のことを”宿駅”と呼んでいたことから「牛津・津でもち駅でもつ、町の栄は店でもつ」の”津”は港、”駅”は宿駅のことを表していると推測され、牛津の街は港と宿場のおかげでもっており、その街の繁栄は商人のおかげである、という意味だと思われます。
そして佐賀駅を出発してから14分後の15時02分、列車は肥前山口駅に到着しました。
肥前山口駅
肥前山口駅では7分間停車するとのことだったため、ホームに降り立ってみました。
ホームに降り立つと向かいには回送列車が停車していました。
- 肥前山口駅に停車中の普通・早岐行きの列車
- 肥前山口駅に停車中の普通・早岐行きの列車
- 肥前山口駅に停車中の回送列車
- 肥前山口駅の時刻表
肥前山口駅はJR長崎本線の駅であると共に、肥前山口~早岐~佐世保を結ぶJR佐世保線の起点駅です。私が乗車してきた普通・早岐行きの列車はここでJR長崎本線と別れを告げてJR佐世保線へと入ることになります。
JR佐世保線(肥前山口~早岐)
JR佐世保線は佐賀県杵島郡江北町の肥前山口駅と長崎県佐世保市の佐世保駅を結ぶ全長48.8 kmの路線です。昭和初期までは早岐~佐世保(8.9km)のみが佐世保線で、肥前山口~早岐は現在の長崎本線に組み込まれていました。しかし1934年の有明海ルート(肥前山口~肥前大浦~諫早)の全線開業に伴い有明海ルートを長崎本線とし、肥前山口~早岐は分離されて佐世保線に組み込まれました。
また肥前山口~武雄温泉の区間(および長崎本線の新鳥栖~肥前山口)は、九州新幹線・西九州ルートに組み込まれる計画とされていました。しかしその前提となるFGT(※)の導入が技術的な問題により事実上断念され、2020年8月現在は国と地元自治体との間でどういう処遇になるか協議中だそうです。
※FGT…フリーゲージトレインの略。新幹線で使われている幅1435mmの線路(標準軌 or フル規格)と在来線で使われる幅1067mmの線路(狭軌)の両方を走れるように車両の線路幅を可変できる列車のこと。
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さて、15時09分に肥前山口駅を出発した列車はJR長崎本線に別れを告げて、JR佐世保線を走ります。
JR佐世保線は、高さは低いものの山の谷間を縫うような形で内陸部を横断します。そのためか車窓はそこまで開けておらず、割と山が迫っている印象でした。列車はそんな山の谷間に作られた田園地帯を西へと走り続けます。
- 高橋駅 駅名標
- 高橋駅 ホーム
- JR佐世保線の車窓(高橋駅出発直後)
- 佐世保線の車窓(有田~三河内)
- 三河内駅 駅舎
- 佐世保線の車窓(三河内~早岐)
列車は九州新幹線・西ルートの暫定始発駅となる予定の武雄温泉駅や、有田焼で有名な有田市の代表駅・有田駅などに停車しながら、有田~三河内の区間で佐賀県から長崎県へと入ります。
そして列車の車窓から車両基地(佐世保車両センター)が見えてくると、列車は終点の早岐駅に到着しました。
- 車内から見る早岐駅の佐世保車両センター(佐世保行きの列車内から撮影)
早岐駅
早岐駅はJR佐世保線とJR大村線の2路線が乗り入れる交通の要衝で、2014年から運用を開始している佐世保車両センター(車両基地)が隣接しています。
佐世保線は先ほども書いたように、早岐~佐世保の区間に旧・長崎本線の肥前山口~早岐の区間が取り込まれたことで現在の形になりました。その影響からか、JR佐世保線の線路はここ早岐駅でスイッチバックをする形になっており、肥前山口からやって来るJR佐世保線の普通列車はほとんどがここ早岐駅止まりとなっています。
私がここまで乗車した列車もここ早岐駅が終点のため、ここで列車を乗り換えます。
- 早岐駅のホームに飾られたていた列車の絵
- 早岐駅に停車中の特急「ハウステンボス」。写真右端の車両は連結している特急「みどり」
- ここまで乗車した早岐行きの列車
乗り換え時間が3分しかないため、急いで跨線橋を渡り1番線に向かうと青色の列車が停車していました。
- 早岐駅に停車中の普通・佐世保行きの列車(キハ200系)
- 早岐駅の駅名標
- キハ200系の車内の様子
JR佐世保線の早岐~佐世保間の列車は、スイッチバックする必要のないJR大村線に直通する列車が多くなっています。この列車は早岐始発の普通・佐世保行きの列車でしたが、この青色の列車はJR大村線で用いられている車両でした。
車内にはほとんど人がおらず閑散としていました。列車は定刻通り16時4分に列車を発車しました。
JR佐世保線(早岐~佐世保)
早岐駅を出発した列車は、先ほど乗車した区間を逆走する形で出発します。そして佐世保車両センターを右手に見ながら肥前山口方面の線路と別れを告げます。
列車は途中の大塔、日宇の2駅に停車し、早岐駅を出発してから14分後の16時18分に終点の佐世保駅に到着しました。
夕暮れの佐世保港へ
JR佐世保駅
佐世保駅はJR佐世保線の終点であると共に、有田駅から海岸沿いを経由して佐世保駅に至る松浦鉄道・西九州線(←翌日に乗車)の終点にもなっています。また2020年現在では私鉄などを除いたJRグループ最西端の駅にもなっているそうです。
佐世保駅はJR佐世保線、松浦鉄道ともに高架上に作られており、JR佐世保線の3面6線、松浦鉄道の1面2線の計4面8線を有する規模の大きい駅でした。
1番線に到着した列車から降りると、ちょうど向かいの2番線には発車待ちだったJR大村線・JR長崎本線直通の快速「シーサイドライナー」長崎行きの列車が停車していました。オレンジと白を基調とした車体の側面には、長崎県屈指の観光地で、この後訪れる予定の「HUIS TEN BOSCH」(ハウステンボス)の文字が刻まれていました。
- 2番線に停車中の快速「シーサイドライナー」長崎行き
- 2番線を発車する快速「シーサイドライナー」。側面に「HUIS TEN BOSCH」と書かれている
- 乗車した佐世保行きの列車
- 乗車した佐世保行きの列車。側面には「SEA SIDE LINER」の文字が書かれている
オレンジ色の快速「シーサイドライナー」を見送った後は、JR佐世保駅のホームを撮影した後に改札へと向かいました。
- JR佐世保駅 駅名標
- JR佐世保駅 ホーム
- JR佐世保駅 ホーム(1・2番線)
- JR佐世保駅 1・2番線ホーム
- JR佐世保駅 構内
- JR佐世保駅 列車案内板
- JR佐世保駅 待合スペース。翌々日に乗車予定のJR大村線の写真などが掲げられていた
- JR佐世保駅 改札口(構内側)
- JR佐世保駅 改札口
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JR佐世保駅の改札の外(駅舎内)はかなり広いコンコースになっていました。駅舎内には売店や地図、観光案内所などがありましたが、中でも目を引いたのは駅舎東口側近くに置かれた巨大な独楽(下の写真2枚目)。
- 佐世保駅 駅舎内の様子
- 佐世保駅 駅舎内に置かれた巨大な佐世保喧嘩独楽
- 佐世保駅 駅舎内に置かれた佐世保喧嘩独楽の説明看板
この独楽は1997年に佐世保の秋の例祭である「佐世保くんち」のために作られた巨大独楽だそうで、その元となっているのは佐世保の郷土玩具である「佐世保独楽」。
元々の「佐世保独楽」は手のひらサイズの大きさで、どんぐり状の木製の本体に独楽の軸となる「剣」と呼ばれる鉄製の金具が打ち込まれています。佐世保独楽は単に回すだけでなく、バトル形式でいかに長く回すかを競うゲームで、相手の独楽を傷付け割ることができることから別名「喧嘩ゴマ」と呼ばれています。
その佐世保独楽を基に作られた巨大な「佐世保喧嘩独楽」は、1997年の「佐世保くんち」で実際に回されたそうで、現在はこうして駅舎内に保存されているそうです。
夕焼け染まる佐世保港
駅舎内を一通り散策した私は西口に相当する「みなと口」から外に出ます。
「みなと口」を出ると、目の前の道路の向こうには船が停泊していました。そう、駅の目の前には軍港として知られる佐世保港が広がっていたのです。
- 佐世保駅 みなと口から見える船(中望遠で撮影)
- 佐世保駅 みなと口駅舎
佐世保港は江戸時代から続く港ですが、大きく発展を遂げたのは明治時代。1889年に旧日本海軍によって佐世保鎮守府が設置されると、軍港として大きく発展を遂げ、それに併せてかつては田舎町であった佐世保の街も軍港の街として栄えることになります。
第二次世界大戦後はアメリカ海軍の基地と海上自衛隊の基地が置かれるようになり、現在も軍港として用いられているそうです。加えて近年はフェリーなどの発着や商業施設(させぼ五番街など)の建設など商港としての機能も有するようになりました。佐世保港は軍港と商港、2つの機能を持つ港として佐世保市を代表する観光スポットになっています。
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佐世保港の近さに少し驚きながら道路を渡ると、そこは「ポートサイドテラス」と呼ばれるテラスになっていました。北側に目を向けると遠くには佐世保港の商業施設「させぼ五番街」が見えており、南側に向けると海上自衛隊と思われる黒い船舶が停泊していました。
そして駅前から見えた白い船(後の調べによると、海上保安庁海洋情報部所属の中型測量船HL-05「海洋」)には夕日が差し込んでいていました。
- 佐世保港に停泊する海上保安庁の中型測量船HL-05「海洋」
- 佐世保港に停泊する海上保安庁の中型測量船HL-05「海洋」
- 佐世保港 ポートサイドテラス(南側)。遠くに停泊する海上自衛隊の船やフェリーが見える
- 佐世保港 ポートサイドテラス(北側)。遠くに商業施設「させぼ5番街」が見える
- 佐世保港に停泊するフェリー(中望遠で撮影)
そして海に目を向けると、そこには俵ヶ浦半島の山々、そして夕焼けに染まる佐世保港の海が広がっていました。あまりの美しさに私は夕焼け染まる佐世保港の海をしばらく眺めたり写真に収めたりしました。
- 夕焼け染まる佐世保港。奥に見える陸地は俵ヶ浦半島
そして南側に目を向けると海上自衛隊と思しき黒い船が停泊していました。この船は海上自衛隊の多用途支援艦「あまくさ」。この艦は戦闘用ではないそうですが、海上自衛隊の艦をこうして間近に見るのは自分の記憶の中ではおそらく初めてだったこともあり、とてもかっこ良く感じました。
- 佐世保港に停泊する海上自衛隊の多用途支援艦「あまくさ」
- 「あまくさ」と夕焼け染まる佐世保港
- 「あまくさ」の船体
- 「あまくさ」の船体
- 佐世保港に停泊する「あまくさ」
この写真を撮っていると、汽笛が聞こえてきました。ちょうど佐世保港に停泊していた大型フェリーが出港するところでした。
- 佐世保港を出港するフェリー
- 夕焼け染まる佐世保港と出港するフェリー
そしてそのフェリーを見送りながら、私は俵ヶ浦半島の山々と夕焼け、そして佐世保港が織りなす光景を堪能していました。
松浦鉄道 佐世保駅
佐世保港を後にした私は、再び佐世保駅の駅舎の中に入りました。佐世保駅に戻ってきた私は、駅構内の東口近くにあるエスカレーターに乗って松浦鉄道・佐世保駅のホームへと向かいました。
佐世保駅の東口側近くにある細い階段を上り、少し進むと松浦鉄道・佐世保駅のホームが見えてきます。
- 松浦鉄道・佐世保駅に向かう通路から見える「えきマチ1丁目佐世保」
- 改札の手前に掲げられた松浦鉄道・佐世保駅の駅名標
- 松浦鉄道・佐世保駅のホーム
松浦鉄道・佐世保駅のホームは1面2線のホームで、幅はJR佐世保駅と比べて細く、長さも短くなっていました。改札も特にないのですが、そんなホームの1番線側には、緑と白のレトロ調な列車が停車していました。
- レトロ調な松浦鉄道のMR-500形(中望遠で撮影)
この列車はMR-500形と呼ばれる列車で、松浦鉄道に1両しかないレトロ調な列車です。車内もレトロな雰囲気なのだそうですが、この列車は1999年に作られたものでそこまで古くないそうです。
こんなレトロ調な列車があるのだな、と思っていると、2番線に松浦鉄道の主力車両であるMR-600形が入線しました。
- 松浦鉄道・佐世保駅に入線するMR-600形(左)(中望遠で撮影)
出口側から撮影していたので、これ以上ここにいると降りてくる乗客の迷惑になると考え、私は一足先に退散することにしました。
(※ちなみに私がここに来た理由は、松浦鉄道の1日乗車券を先に購入するためでした。ホームの出口側にある窓口で購入し、翌日の松浦鉄道乗車時に使用しました。)
佐世保駅 東口
松浦鉄道・佐世保駅を後にした私は、東口へと向かいました。
- 佐世保駅 東口
- 佐世保駅 東口駅舎
佐世保駅の東口はみなと口とは異なり大きな駅前ロータリーがあり、そのロータリーを抜けると片道2車線の大通り(国道35号)に出ます。
- 佐世保駅 東口駅舎とロータリー
- 佐世保駅前(東口側)を走る国道35号
- 佐世保駅前(東口側)を走る国道35号
車通りが多いなと思いながら、私は国道35号沿いにある今日のホテルへと向かいました。そこで荷物を預けた私は、再び佐世保駅へと向かいました。
国鉄色の快速「シーサイドライナー」
ホテルに荷物を預けた私は再び佐世保駅に戻ってきました。時刻は17時過ぎ。夕闇が迫る中、私は切符を購入してJR佐世保駅の構内に入りました。次の列車は17時13分発のJR佐世保線・JR大村線・JR長崎本線経由の快速「シーサイドライナー」長崎行きです。
- JR佐世保駅 改札口
- JR佐世保駅 列車案内板
その列車が発車する佐世保駅の2番線ホームに向かうと、そこには今時あまり見かけない国鉄色の塗装がされたキハ66系が停車していました。
- JR佐世保駅に停車中の快速「シーサイドライナー」佐世保行き。車両は国鉄色のキハ66系
- JR佐世保駅に停車中の快速「シーサイドライナー」佐世保行き
国鉄色の車両を写真に収めた後、私はその列車に乗り込みました。そして快速「シーサイドライナー」長崎行きは定刻通り佐世保駅を発車しました。
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佐世保駅を出発した列車は、途中の日宇駅で特急列車との行き違いを行ったりしながら、17時29分に早岐駅に到着しました。
- 日宇駅を通過する特急「みどり」佐世保行き
早岐駅に着いた頃には既に日は暮れていました。早岐駅からはJR大村線に直通しますが、出発まで10分ほど時間があったことから、ホームに出て国鉄色のキハ66系の写真を再び撮影しました。
- 早岐駅に停車中のキハ66系
- 早岐駅に停車中のキハ66系
- 早岐駅に停車中のキハ66系
- 早岐駅 駅名標
そして列車は17時39分に早岐駅を発車しJR大村線へと入りました。ここから長崎駅までは約1時間40分の旅路になりますが、私は早岐駅を出発してから5分後、次の停車駅で途中下車しました。
降り立ったのは「ハウステンボス駅」―長崎県屈指のテーマパークである「ハウステンボス」の最寄り駅でした。
3日目の途中ですが、今回はここまでとなります。
この後は、”男一人”でクリスマスイルミ煌めく夜のハウステンボスに乗り込むという”暴挙”に出ますが、続きは次回の記事に書きたいと思います。
続きは「男一人で行く夜のハウステンボス〈前編〉―2018年 九州北部一周の旅・Part16」へ
「2018年 九州北部一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら
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