弥生時代へ!佐賀・吉野ヶ里遺跡を歩く〈後編〉―2018年 九州北部一周の旅・Part14

3日目・前編3(2018年12月17日)
~弥生時代へ!佐賀・吉野ヶ里遺跡を歩く〈後編〉~

(「弥生時代へ!佐賀・吉野ヶ里遺跡を歩く〈中編〉―2018年 九州北部一周の旅・Part13」の続き)

旅行3日目の行程:10:00 吉野ヶ里遺跡(いまここ!)→14:40 JR長崎本線・佐世保線→16:20 佐世保駅・佐世保港→ 18:00 ハウステンボス→21:30 佐世保駅(泊)

吉野ヶ里歴史公園 環壕集落ゾーン〈後編〉

環壕散策~環壕の中を歩く

吉野ヶ里歴史公園の散策ルート「やよいのみち」を南下して「中のムラ」を通過した私は、引き続き「やよいのみち」に沿って南下していました。

その道中、こんな看板を発見しました↓

矢印の方向には舗装されていない細い道が環壕に向かって続いていました。私はこの「環壕へおりられます」という看板に興味を惹かれ、導かれるままにこの細い道に入っていきました。

少し歩くと環壕が見えてきました。たしかに階段で環壕の中に降りられるようになっていました。

周辺には人はおらず私一人しかいなかったので少し不安でしたが、恐る恐る階段を降りてみました。

階段を降りて環壕の中に入ると、両側の壁が迫っており、その壁が斜面になっていることもあり足場はかなり細くなっていました。そして深さ的には先ほど歩いた北墳丘墓の墓道よりも深さがありました。

歩き心地は足場が細いこともあり、あまり良くはありませんでした(そもそも本来は人が歩く場所ではないですからね…)。しかしこうして環壕を歩く経験もなかなかできないので、かなり貴重な体験だったと思います。

“倉と市”エリア

環壕散策路の終端まで歩いた私は、階段を上って地上へと戻り、「やよいのみち」に再び合流しました。

合流して間もなく見えてきたのは、「倉と市」エリアの北側の出入口です。出入口には環壕集落の入り口で見たものと同じような鳥の装飾が施された門が建っており、その周りには環壕が掘られていました。

 

この門をくぐって「倉と市」エリアに入ります。

中に入ってまず見えてきたのは倉と市エリア北端に建つ物見やぐら。

やぐらの上に上ってみると、北西側からは遠くに広がる山々を、そして南側からは倉と市エリアに建つ高床式倉庫などの建物群を一望できました。

今いる「倉と市」エリアはその名の通り、物品を売買するための「市」が開かれた交易の中心地であると共に、そこで取引される物品を保管するための高床式倉庫が多数建てられていたとされるエリアです。

このエリアで再現されている建物数は私が見た限り「環濠集落ゾーン」の中では最も多く、弥生時代に交易で盛んだったこのエリアの様子を物語っているようでした。

このエリアに建つ建物の多くは物品の保管する高床式倉庫が多かったですが、その中に「市楼」と呼ばれる2階建ての建物がありました。

この建物はこのエリアで開催される”市”を管理する建物で、2階は物見やぐらを兼ねていたようです。

中に入れるようになっていたので入ってみると、1階はそこまで広くなく、中央にらせん階段が鎮座していました。

 

そして2階に上がるとそこには太鼓が置いてありました。

この太鼓は市の開催などを告げるための太鼓だったそうで、上の写真のように天井から吊るされていたようです。ふと見ると太鼓を叩くためのバチがぶら下がっていたので、1回だけ叩いてみました。いい音がしました。

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市楼を後にした私は、群立する高床式倉庫を眺めながらエリア内を南に南下しました。

そして倉と市エリアを後にした私は、その南側に広がる草原を南下して「環濠集落ゾーン」の南端にある「南のムラ」へと向かいました。

南のムラ

「南のムラ」は集落の南側にあったとされる一般庶民の暮らすエリアで、エリア内には竪穴式住居や高床式倉庫が散在していたり、田畑が耕されていたりしました。殺風景ながらも全体としてのどかな光景が広がっており、歩いているとのんびりした気分になれました。

祭壇~弥生の息吹を感じて~

「やよいのみち」に沿って南のムラを南下すると、少し丘になっている場所がありました。

ここは「祭壇」と呼ばれる場所で、「環壕集落ゾーン」の最南端に位置しています。この祭壇は北内郭や北墳丘墓と共に重要な祭りの場であったそうで、当時の人々が崇めていた天や地、水などへの神霊への祭りが行われていたそうです。

この祭壇も上れそうな雰囲気がしたので上ってみました。

祭壇の上はただ茶色の草原が広がっているだけの正方形に近いスペースでした。

この祭壇は「環壕集落ゾーン」の最南端であると共に、吉野ヶ里歴史公園の南端でもあります。そのため祭壇の南側には公園に沿って走る長崎本線やその南側の住宅街が見えていました。

そして北側に目を向けると、「南のムラ」の集落や、今まで歩いてきた「環壕集落ゾーン」、遠くに見える山々を一望することができました。

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祭壇の上は周りに遮るものがないため、風が強く吹き付けていました。聞こえるのは風の音と、たまに聞こえるJR長崎本線の電車の音だけでした。

その風は12月らしい涼しい風で、とても心地よい気分になりました。そんな風が吹き付ける中でかつての弥生時代の遺跡を眺めていると、自分の中にかつてのこの「クニ」の王になり、かつての集落を眺めているような気分になりました。

これが弥生時代、かつての日本の原風景―そう思わせるような光景で、まさに弥生時代の息吹を感じさせられた体験でした。

吉野ヶ里歴史公園 入り口ゾーン(歴史公園センター)

歴史公園センター レストラン&お土産屋

祭壇を後にした私は散策ルート「やよいのみち」に沿って移動し、環壕集落の入り口まで戻ってきました。道中には勾玉づくりや火起こし体験など弥生時代を体験できる「弥生くらし館」がありましたが、一人だったことと時間の都合によりスルーしました(将来もし結婚できたら妻や子供と一緒に行ってみたいですね…)。

北墳丘墓から約1.6 kmに渡り続いていた「やよいのみち」はここが終着点で、ここで前半歩いていた散策ルート「ひみかのみち」と合流します。この「ひみかのみち」を戻る形で吉野ヶ里歴史公園のメインゾーンである「環壕集落ゾーン」を後にし、公園東側の「入り口ゾーン」にある「歴史公園センター」まで戻りました。

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歴史公園センターは、2回前の記事にも書いた通り、左右に細長く伸びているガラス張りの建物で、チケット売り場や売店・レストラン、映像シアターなどを併設しています。

時刻は12時40分頃で、ちょうどお昼時。吉野ヶ里歴史公園に足を踏み入れてから約2時間40分、しかも約3 kmに渡り歩きっぱなしだったこともあり、ここでお昼を取ることにしました。

自動扉から建物の中に入ると、手前側はお土産コーナーになっていました。吉野ヶ里歴史公園にちなんだ様々なお菓子や、佐賀県名産の有田焼などが売られていました。

この売店の奥側にレストランがありました。

レストランは広々としていてきれいめな感じでした。窓側には一人用のカウンター席もあり、私はそこに座りました。

メニューは建物に入るときにメニュー看板を見てすでに決めていて、あの弥生時代の女帝・卑弥呼様の名を冠した「卑弥呼御膳」(1,580円)を頂くことにしました。

注文してしばらくしてやってきたのは、いかにも高級そうな感じのする二段御膳。

上段は赤飯と味噌汁、漬物と天ぷら、茶わん蒸しの5品が置かれており、下段には魚やたくわんなど計4品がありました。久々の本格的な和食料理ということもあり少し気後れしましたが、美味しくいただきました。

旅立ち~弥生から現代へ~

卑弥呼御膳を頂いて女王様気分を少しだけ味わった私は、レストランを後にしました。

時刻は13時10分頃。平日限定で1日5便だけ運行している「吉野ヶ里町コミュニティバス」の第4便まで約25分ほど時間があったことから、最後に歴史公園センター内のシアターへと向かいました。

シアターの中には私以外誰もおらずガランとしていましたが、モニターでは映像が流れ続けていました。私は一人席に座り、休息も兼ねてぼんやりと映像を眺めていました。中身はあまり覚えていませんでしたが、1980年代の吉野ヶ里遺跡の発掘調査などに関することだったと思います。

10分くらいしてようやく年配の夫婦が一組入ってきました。映像もちょうど一段落したこともあり、私はここを後にすることにしました。

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これまで約3時間に渡り弥生時代の中を歩いてきました。再現されたかつての集落や建物群を見て、かつてここ吉野ヶ里には確かに大きな集落があったのだなと実感しました。そして終盤に訪れた祭壇の上で感じた弥生時代の息吹―あのとき吹いていた風の感覚と見たり感じたりした情景はあの旅行から1年半以上経った今でも覚えています。

ここまでかつての弥生時代に思いを馳せ続けてきましたが、遂に現代(平成)へと戻るときが来ました。歴史公園センターを後にした私は、東に向かって真っすぐ延びる並木道を歩きました。そして公園東側の正門を出た私は、目の前にあるコミュニティバスのバス停でバスが来るのを待ち、13時38分発予定のバスに乗車して吉野ヶ里歴史公園を後にしました。

 


ここまで3回に渡り吉野ヶ里歴史公園について書いてきました。

この後は吉野ヶ里公園駅からJR長崎本線とJR佐世保線を乗り継ぎ、軍港の街・佐世保へと向かいますが、今回の記事はここまでとなります。

 

続きは「夕焼け染まる佐世保港へ―2018年 九州北部一周の旅・Part15」へ

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