2日目・後編(2018年12月16日)
~水の都・柳川ミニ観光~
(「世界遺産のまち・大牟田へ④~三池港と石炭産業科学館~―2018年 九州北部一周の旅・Part10」の続き)
水の都・柳川ミニ観光
有明海沿岸道路で柳川へ
大牟田市石炭産業科学館を14時50分頃に後にした私たちは、大学時代の友人・F氏の案内で”水の都”と名高い福岡県の柳川に向かうことにしました。
F氏の運転する車は大牟田ICから有明海の沿岸沿いを走る「有明海沿岸道路」で北へと向かいます。その車中からは有明海を望んだり、上空を舞う鳥の大群を見かけたりしました。
- 有明海沿岸道路から望む有明海
- 有明海沿岸道路の上空を舞う鳥の大群
- 有明海沿岸道路 矢部川大橋
- 有明海沿岸道路から見る西鉄大牟田線の列車(西鉄柳川駅近く)
そして運転すること約25分、柳川市内に入った車は有明海沿岸道路を降りて下道へと入りました。
水の都・柳川
柳川市は福岡県の南西部に位置する街で、かつては柳川城の城下町として、そして今は”水の都”、”水郷の街”として福岡県の中では人気の高い観光地です。
城下町・柳川の歴史は戦国時代、鎌倉時代よりこの地を治めていた蒲池氏により蒲池城が建てられたことから始まります。後の柳川城となったこの城は豊臣秀吉の時代に立山宗茂によって治められ、城の改修や城下町の整備が行われました。しかし立山宗茂は関ヶ原の戦いで負けた西軍に付いていたため改易(追放処分)となり、代わりに田中吉政が柳川藩初代藩主となりました。この田中吉政の手によって柳川城が大規模改築され、その際に柳川は城下町として整備されました。
特にこの頃整備された掘割(水運や稲作のための用水路)は2020年となった現代でも残されており、水の都・柳川の代名詞となっています。
さて柳川藩は後に田中吉政の息子の代で血筋途絶えると、改易されていた立花宗茂が再び藩主となってこの地を治め、その後は江戸時代の終わりまで立花氏が治めていました。
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柳川城は明治5年の火事で天守などが焼失し、その面影は残っていません。
一方で柳川の城下町や堀割は江戸時代の頃からあまり変わらずに残されており、特に掘割を「どんこ舟」と呼ばれる舟で巡る「お堀めぐり」は水の都・柳川の代表的な観光スポットとなっています。
その他にも柳川発祥の名物料理「うなぎのせいろ蒸し」や明治時代の詩人・北原白秋の生家が残るなど、江戸~明治にかけての文化が色濃く残る街になっています。
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今回はこちらにやってきたのが15時を回っていたのでさすがにじっくり観光することはできませんでしたが、F氏の案内で”ミニ観光”として水の都・柳川を少しだけ体験しました。
柳川のうなぎを食す
大牟田から柳川へとやってきた私たち。時刻は15時を過ぎていましたが、実はまだ昼ご飯を食べていませんでした。そこで柳川名物のうなぎを早速食べるために、F氏の案内でうなぎ料理屋へと向かいました。
有明海沿岸道路を降りて一般道を走ること約5分、私たちは1軒のうなぎ屋さんに到着しました。
- 柳川のうなぎ屋「元祖本吉屋 本店」
こちらのお店は「元祖本吉屋」といううなぎ屋さん。かつてF氏が会社の先輩に連れられてきたといううなぎ屋なのだそうですが、なんと江戸時代から330年以上続いている老舗で、柳川名物「うなぎのせいろ蒸し」発祥の店でもあります。
いかにも老舗というたたずまいに入る前から怖気づいてしまいましたが、中に入っても老舗感が出ていました。
- 「元祖本吉屋 本店」の廊下
そして通されたのは日本庭園を望める座敷のお部屋でした。
- 元祖本吉屋のお座敷
これ20代の若者2人が訪れるような場所じゃないよな・・・と思いながらメニューを開いてみると、入店前にF氏から聞いていたとは言えやはり高額なメニューがずらっと並んでいました。普通のせいろ蒸しで3,700円、定食もメニューによっては6,700円もするものもありました。
- 元祖本吉屋のメニュー
少し迷いましたが、最終的に私はせいろ蒸しの中では一番安い普通のせいろ蒸し(3,700円)をチョイスしました(今思えばより高額な定食メニューにしても良かったのかもしれませんが、この頃は1,500円を超えるメニューすら食べたことがほぼなかったので、これでもかなり頑張った方ですし、一食3,700円は2020年時点でも私の食事での最高金額です笑)。
F氏と雑談しながら待つこと約15~20分、私の前に赤いおひつが置かれました。そして蓋を開けるとその中にはうなぎが鎮座していました。
- 元祖本吉屋のうなぎのせいろ蒸し
食リポは全くダメな方なので味の詳細は省略しますが、とにかく美味しく頂きました。
お堀めぐりの乗船場へ
うなぎを食べ終わって少し食休みがてら雑談した後、店を後にした私たち。
時刻は既に16時過ぎ。ここから柳川名物「お堀めぐり」をするにはあまりにも時間が遅かったうえ、この日はあいにくの雨ということもありこの時点で断念することにしていました。それでもせっかく柳川に来たのだから掘割や舟を見てみたいと思い、F氏に近くの舟乗り場まで連れて行ってもらうことにしました(後々考えれば、F氏は翌日から普通に仕事があったんですよね・・・ちょっと無茶を言い過ぎたかな?)。
F氏に連れて来てもらったのは水郷柳川観光の舟乗り場。お堀めぐりを行う事業者がここ柳川にはいくつかあるのですが、私たちがやってきたのは西鉄柳川駅に最も近い乗り場でした。
- 水郷柳川観光の乗船場
こちらのお堀には舟がたくさん浮かべられていました。
- お堀に係留された舟
そして橋を挟んで反対側のお堀には柳川らしく柳の木がお堀沿いに立っていました。そのお堀沿いを少しだけ歩きながらお堀めぐりの気分を味わいました。
- 乗船場近くのお堀
- 乗船場近くのお堀
- 乗船場近くのお堀
- 乗船場近くのお堀
こうしてお堀めぐり気分を少しだけ味わった私ですが、お堀めぐりをできなかったことに少し気落ちしていました。するとF氏からもっと柳川っぽい雰囲気の場所があるよという話がありました。そして私たちはその場所へと向かいました。
お堀めぐりの終点・沖端へ
F氏に車で連れて来てもらったのはお堀めぐりの終点にあたるという場所。後で調べたところここは沖端(おきのはた)という場所だそうで、近くには詩人・北原白秋の生家である「北原白秋生家・記念館」や、柳川藩の藩主・立花家の邸宅である「柳川藩主立花邸 御花」、壇ノ浦の戦いで入水し崩御した安徳天皇が祀られた「沖端水天宮」といった観光地が立地しています。
(したがってちゃんと柳川観光をするなら、柳川駅近くの乗船場からお堀めぐりをして、終点・沖端で下船して周辺の観光スポットを巡る感じになるのでしょうか)
そんな沖端というエリアのお堀沿いに車を止めた私たち。そこには城下町・柳川を代表するかのような風情漂う光景が広がっていました。
- 柳川 沖端エリア
- 柳川 沖端エリア
- 柳川 沖端エリア
- 柳川 沖端エリア
・・・言葉が出ないくらいの風情漂う光景。雨が降りつけるお堀に柳の木がしなだれかかり、お堀沿いの店も江戸時代の風情を漂わせる外観の建物が建ち並んでおり、本当に江戸時代の城下町を思わせるような光景でした。
雨が降り日没が近づく時間帯ということもあってか人通りはあまりなく、静かで穏やかな雰囲気でした。私たちはその後、この沖端エリアのお堀沿いを一周しましたが、どこから見ても風情漂う光景が広がっていました。
- 沖端エリアのお堀
- 沖端エリア手前のお堀。お堀にせり出す白い建物は元祖本吉屋・沖端支店、左手の壁は柳川藩主立花邸 御花の外壁
- 沖端エリアのお堀
- 沖端エリアのお堀
また沖端エリアのお堀沿いに立つ神社にも立ち寄りました。
- 沖端水天宮
- 沖端水天宮の由緒が書かれた看板
こちらの神社は先ほど上でも少し紹介した沖端水天宮。平安時代末期の壇ノ浦の戦いにおいてわずか8歳で入水して崩御した悲劇の天皇・安徳天皇が祀られているそうです。
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江戸時代から続く城下町・柳川の雰囲気が色濃く残るお堀めぐりの終点・沖端。お堀めぐりに乗れなかったのは残念でしたが、城下町・柳川の真髄とも言える風情漂う美しい景色を見ることができてとても良かったです。
別れのとき
車に戻った私と友人のF氏。私たちにも別れのときが近づいていました。
私はこの後、この日の宿泊地で佐賀県にある吉野ヶ里遺跡の最寄り駅・吉野ヶ里公園駅へと向かうことになっていました。そこでF氏に頼んで近くのJRの駅まで送ってもらうことにしました。
Googleマップを見て私が選んだのは柳川から見て概ね真東に位置し、九州新幹線も停車するJR築後船小屋駅。大牟田市内に住むF氏にとっては行ったことのない場所の上、彼の自宅に近づかない方角でしたが快く (?) 引き受けて切れました。
(今思うとF氏は翌日会社だったのに無茶させちゃったかな・・・)
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柳川市街地から車を走らせること約30分、車は築後船小屋駅に到着しました。
ここまで1日半に渡り博多や大牟田、柳川を案内してくれたF氏。久しぶりの旧友との再会を楽しむとともに、彼の案内のおかげで福岡県内の旅を楽しむことができました。博多のイルミネーションやもつ鍋、大牟田の炭鉱施設たち、そして柳川のうなぎや城下町の街並み。どれも一人旅行だったらスルーしてしまい知ることができなかったと思います。この場を借りて改めて感謝を申し上げたいと思います。
駅に到着した私はF氏に感謝と別れのあいさつを告げ、車を降りました。そして私は降りしきる雨の中、駅前ロータリーから走り去るF氏の車を見送りました。
雨降りしきる夜の吉野ヶ里公園駅へ
築後船小屋駅
築後船小屋駅で大学時代の友人・F氏と別れた私。寂しさを覚えながらもいつもの一人旅に戻っただけと考え旅を続けます:
築後船小屋駅は福岡県筑後市にあるJR九州の駅で、JR鹿児島本線と九州新幹線が停車します。かつては船小屋駅という小さな駅でしたが、2011年の九州新幹線の全線開業に際して新幹線の駅も設置され、駅そのものを南へ約500m移設したうえで築後船小屋駅に改称されました(ちなみに移設後(すなわち現在)の築後船小屋駅は、2007年より整備され始めた筑後広域公園の中に作られているそうです)。
築後船小屋駅は、ロータリーを挟んで在来線(JR鹿児島本線)の駅舎と新幹線の駅舎が別々に設置されていました。
- 築後船小屋駅 在来線駅舎
- 築後船小屋駅 新幹線駅舎
- 築後船小屋駅前の広場
在来線駅舎は和風でおしゃれなデザインの駅舎で、中はそんなに広くないですが2011年に作られた駅舎ということもありとてもきれいでした。
- 築後船小屋駅 在来線駅舎
- 築後船小屋駅 在来線駅舎
- 築後船小屋駅 在来線駅舎に掲げられたシックでおしゃれな看板
- 築後船小屋駅 在来線駅舎 入り口
- 築後船小屋駅 在来線駅舎の改札と待合室
- 築後船小屋駅 在来線駅舎の出口頭上に掲げられたタマホームスタジアム筑後の案内板
- 築後船小屋駅 在来線駅舎横の観光案内所
一方、駅前ロータリーを挟んで反対側の新幹線駅舎の中はとても広く、こちらも2011年開業ということもありとてもきれいでした。しかし駅舎の中に人はあまりおらずとても閑散としており、新幹線の本数も朝夕に最大4本、昼間は1時間に1本という感じでした。
- 築後船小屋駅 新幹線駅舎の中の様子
- 築後船小屋駅 新幹線駅舎の改札前待合室
- 築後船小屋駅 新幹線駅舎の改札口
- 築後船小屋駅 九州新幹線の時刻表
さてここから丸一日ぶりの列車旅。私は在来線駅舎に向かい、駅の窓口で翌日の宿泊地である佐世保駅(長崎県)までの切符を購入しました。
その後、在来線のホームへと向かった私は福岡方面へと向かうJR鹿児島本線の列車を待ちました。そして1番線に入線した17時53分発の快速・小倉行きの列車に乗り込んだ私は、JR長崎本線の始発駅である鳥栖駅へと向かいました。
- 築後船小屋駅 在来線ホーム
- 築後船小屋駅 在来線ホームの駅名標
- 築後船小屋駅 1番線に入線する快速・小倉行きの列車(JR九州813系)
鳥栖駅
列車は雨降る日没後の闇の中を走ります。その車内で私はこの2日間の出来事を思い返していたり、これから続く残り6日の旅のことを考えたりしていました。
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築後船小屋駅を出発してから26分後の18時17分、列車は定刻通り鳥栖駅に停車しました。
鳥栖駅は佐賀県鳥栖市にあるJR九州の駅で、JR鹿児島本線と長崎へと走るJR長崎本線の2路線が乗り入れています。その歴史は古く、1889年(明治22年)に九州初の鉄道が敷設された際に設置された九州初の鉄道駅(博多駅など計5駅)の一つで、2019年に開業130周年を迎えました。2019年現在も熊本・鹿児島へと向かうJR鹿児島本線と佐賀・長崎へと向かうJR長崎本線の分岐駅として鉄道交通の要衝となっています。
また明治時代の1903年に建てられ、1911年に増改築された駅舎が100年以上経った現在もそのまま使われているそうです(訪問当時は知らなかったので私はスルーしてしまいました・・・)。
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鳥栖駅に到着した私は小倉方面へと走り去る列車を見送り、向かいの2番線ホームに止まるJR長崎本線の列車が停まる向かいのホームへと向かいました。
- 乗車した小倉行きの列車
- 走り去る小倉行きの列車
- 鳥栖駅2番線と3番線にそれぞれ停車する列車(JR九州817系、右手の2番線の列車がこの後乗車した列車)
鳥栖駅の2番線と3番線には共に前面が黒色、側面が白色のJR九州817系の列車が停車していました。そのデザインといい、側面に書かれた「Commuter Train 817」の文字(通勤列車817系を意味する)といい、かっこいい感じの列車でした。
- 鳥栖駅2番線と3番線に停車中のJR九州817系の列車
- JR九州817系の側面に書かれた”Commuter Train 817″
- 鳥栖駅2番線に停車中のJR九州817系(このあと乗車する肥前大浦行きの列車)
- 鳥栖駅 駅名標
- 鳥栖駅 1・2番線ホーム
- 鳥栖駅 1・2番線ホームから改札へと向かう階段
- 鳥栖駅の全列車の列車案内板
2番線に停車していた817系の列車(18時27分発 肥前大浦行き)に乗り込むと、列車の中はきれいな感じで、今まで見たことのない円形状に配置されたつり革が設置されていました。
- JR九州817形の車内
- JR九州817形のドア付近のつり革。円形状につり革が配置されている。
そして列車内で待つこと数分、長崎本線・肥前大浦行きの列車は定刻通り18時27分に鳥栖駅を発車しました。
夜の吉野ヶ里公園駅
鳥栖駅を出発して15分後の18時42分、列車は4駅隣の目的地・吉野ヶ里公園駅に到着しました。
吉野ヶ里公園駅はその名の通り九州で最も有名な遺跡である吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)の最寄り駅なのですが、時刻がすでに19時前ということもありここで下車したのは私も含め数人だけでした。
- 吉野ヶ里公園駅を発車する普通列車
- 吉野ヶ里公園駅ホームから鳥栖方面を見る
- 吉野ヶ里公園駅ホーム(鳥栖駅側から撮影)
列車が走り去り私以外の乗客は改札へと向かうと、吉野ヶ里公園駅のホームには降りしきる雨の音だけが聞こえていました。私はそんなホームに一人残りしばらく写真を撮りました。
- 吉野ヶ里公園駅 駅名標
- 吉野ヶ里公園駅 佐賀・長崎方面の時刻表。列車は30分に1本程度でそこまで多くありません
- 吉野ヶ里公園駅 2・3番線ホーム
- 吉野ヶ里公園駅のホームと跨線橋
- 吉野ヶ里公園駅のホーム(佐賀駅方面を見る)
- 吉野ヶ里公園駅 1番線ホームから改札へと向かう階段
吉野ヶ里公園駅の改札口には簡易IC改札機が1つ設置されているだけで、九州有数の観光地とは思えない小さな改札口でした。
- 吉野ヶ里公園駅 改札(駅構内側)
- 吉野ヶ里公園駅 改札
- 吉野ヶ里公園駅 橋上通路(北口方面)
吉野ヶ里遺跡へと向かうには橋上通路を渡って北口へと向かう形になります。しかしこの日の宿は南口側からアクセスするため、改札近くの階段を降りて南口へと向かいます。
吉野ヶ里公園駅の南口駅舎はおしゃれなデザインの比較的新しめの駅舎でした。
- 吉野ヶ里公園駅 南口駅舎
- 吉野ヶ里公園駅 南口駅舎の階段
- 吉野ヶ里公園駅 南口駅舎と駅前ロータリー
吉野ヶ里公園駅の南口側はかなりこじんまりとしており、小さめの駅前ロータリーと、そこから真っすぐ国道まで延びる片側1車線の道路があるだけでした。駅前の建物もビルやデパート、ホテルなどの背の高い建物は一切なく、民家など低い建物が並んでいるだけでした。
私は吉野ヶ里公園駅を背に駅前から国道へと向かう通りを歩いていきました。そして国道34号に出た私は雨が降りしきる中、国道沿いに東へと歩きこの日の宿へと向かいました。
※吉野ヶ里公園駅は吉野ヶ里遺跡の最寄り駅ではあるのですが、電車で約10分のところ(3駅隣)に佐賀駅があるせいか、吉野ヶ里公園駅周辺には宿泊施設がほぼありませんでした。今回は駅から最も近い「HOTEL AZ 佐賀吉野ヶ里店」に宿泊しましたが、それでも駅から徒歩7分もかかりますのでご注意ください。
旅行2日目の記事はここまでとなります。
翌日は九州有数の遺跡である吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)を散策したり、男一人で夜のハウステンボスに乗り込んだりします(笑)が、続きは次回以降の記事に書きたいと思います。
続きは「弥生時代へ!佐賀・吉野ヶ里遺跡を歩く〈前編〉―2018年 九州北部一周の旅・Part12」へ
「2018年 九州北部一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら
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