世界遺産のまち・大牟田へ②~【世界遺産】三池炭鉱 宮原坑へ~―2018年 九州北部一周の旅・Part8

2日目・前編2(2018年12月16日)
~世界遺産のまち・大牟田へ②―【世界遺産】三池炭鉱 宮原坑へ―~

(「世界遺産のまち・大牟田へ①~市街地と三井化学・大牟田工場~―2018年 九州北部一周の旅・Part7」の続き)

世界遺産・三池炭鉱関連資産とは

さてここから三池炭鉱の関連施設を巡ることになりますが、その前に世界遺産の概要と登録されている施設の一覧を書きたいと思います:

2015年7月、「明治日本の産業革命遺産」として三池炭鉱の関連施設が他の7都市にある施設(八幡製鐵所、韮山反射炉、長崎造船所など)と共に世界遺産に登録されました。

「明治日本の産業革命遺産」は、「日本が西洋以外で初めて、かつ極めて短期間のうちに近代工業化を果たし、飛躍的な発展を遂げたことを示す遺跡群」で、明治時代の日本の産業革命に大きく貢献した施設群を対象とした世界遺産です。「製鉄・製鋼」、「造船」、「石炭産業」の3つのジャンルで8エリア・合計23の資産が登録されました。

正直なところ日本各地の色々なものを詰め込んでいるため、他の世界遺産と比べてもわかりにくく、当時報道を見ていても”世界遺産感”がしないなという印象を持っていました。しかし一覧を丁寧にみていくと、確かに無名な施設も多いですが、韮山反射炉や長崎造船所、八幡製鐵所といった有名な産業施設があったり、中には江戸末期から明治時代の歴史的な施設として、松下村塾やグラバー邸なども登録されていました。

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さてこれから訪れる「三池炭鉱」は個人的には全く知らなかった施設ですが、明治時代以降に洋式採炭技術を導入して石炭の増産体制を確立し、日本の近代工業化をエネルギー面で支えてきた炭鉱でした。

三池炭鉱の関連施設は、坑道(石炭を掘り出す地下通路)の入り口である「坑口」、掘り出した石炭を運ぶ「鉄道」、石炭を日本や世界各地に運ぶ拠点となる「港湾」といった一連の施設が良好な状態で保存されており、そのうち下記の2資産・計5施設が世界遺産として登録されました。

① 三池炭鉱・三池港
(1) 三池炭鉱 宮原坑
・・・1898年開坑の坑口。明治時代の主力であった坑口の一つ。この地に現存する第二竪坑櫓は日本で現存する最古の鋼鉄製の櫓。1931年閉坑。
(2) 三池炭鉱 万田坑
・・・1902年開坑の坑口。大牟田市の南隣である熊本県荒尾市に所在。炭鉱業界の模範となるような坑口施設を作るために、三井財閥が総力を挙げて建設。明治時代に作られた炭鉱施設としては日本最大規模。
(3) 三池炭鉱 専用鉄道敷跡
・・・1878年開業、1905年全線開通。最盛期には全長150kmにおよび、三池炭鉱で採れた石炭や炭鉱で働く人々などを運んでいました。
(4) 三池港
・・・1908年開港。三池炭鉱で採れた石炭の海外輸出を担っていた港。日本で閘門式水門(潮位の変化が大きくてもドック内の水位を一定に保つ水門)を有する唯一の港。

② 三角西港
1887年開港。三池港が整備される前の石炭の輸出拠点となった港。明治期の港湾としては唯一完全な状態で現存している。熊本県宇城市に所在。

今回の旅行ではF氏の案内の元、大牟田市内にある宮原坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港を訪れました。また上記以外の三池炭鉱の産業遺産も訪れましたので、以降の記事で一緒に書いていきたいと思います。

【世界遺産】宮原坑 & 三池炭鉱専用鉄道敷跡へ

ここから旅行記に戻ります:

「宮浦石炭記念公園」を後にした私たちは、この近くにあるF氏の住むアパートを外から見学した後、次の目的地である世界遺産・宮原坑へと向かいました。

午前11時半過ぎ、私たちの乗る車は宮原坑近くの駐車場に到着しました。駐車場に降り立ってまず目に付いたのは「炭鉱電車」形をしたカラフルなトイレでした。

そして反対側へと目をやると、世界遺産・宮原坑の巨大な櫓(第二竪坑櫓)が視界に入りました。

駐車場を抜けて宮原坑に近づくと、巨大な櫓と共にレンガ造りの建物(第二竪坑巻揚機室)が見えてきました。

そしてその手前にこちらも世界遺産である三池炭鉱専用鉄道敷跡が見えてきました。

【世界遺産】三池炭鉱専用鉄道敷跡

上でも少し触れましたが、三池炭鉱専用鉄道は1878年開業、1905年全線開通した三池炭鉱専用の鉄道路線です。かつては七浦坑や宮浦坑、万田坑といった三池炭鉱の主要坑口と三池港を結んだ路線で、三池炭鉱で採れた石炭や炭鉱で働く人々などを運んでいました。

三池炭鉱専用鉄道は最盛期には総延長150kmにおよび、一時期は地方鉄道として旅客輸送を行ったりしていました(1964~1973)。しかし三池炭鉱の衰退・縮小に伴い徐々に規模を縮小していき、1997年に三池炭鉱の閉山と共に、三井化学専用線(2020年5月末廃線予定)として転用された区間を除き全て廃線となりました。

2020年現在、線路は全て撤去されてしまいましたが、一部の区間では線路の下に敷く枕木が残されているそうで、宮原坑付近の線路跡にも枕木が残されていました。

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訪れた当時は炭鉱がらみの貨物路線の跡地くらいかなと思っていた程度で、まさかこちらも世界遺産だったとは夢にも思っていませんでした(笑)。しかし端くれとはいえ鉄道ファンである私の習性としてちゃんと写真に収めていました(笑):

駐車場から宮原坑に向かうには上の2枚目の写真にあるいかにもぼろそうで、かつ車一台通れるかどうかくらいの細い橋を通ってこの線路跡を渡る必要があります。

その橋からの眺めがこちら↓

北側(宮原坑側)へと目を向けると、真っすぐに続く線路跡と宮原坑跡に残る建物、2つの世界遺産を同時に見ることができます。

反対に南側へ目を向けると、左右の木々に挟まれた線路跡が奥へと続いており、その寂しげな情景に私はしばらく見入っていました(上の写真の2枚目)。

そしてこの橋を渡り切った私たちは世界遺産・宮原坑へと向かいました。

【世界遺産】宮原坑

三池炭鉱 宮原坑(みやのはらこう)は1898年開坑の坑口で、元々は七浦坑や宮浦坑といった既存の坑道の排水を目的として作られました。開坑後は排水と共に主力坑口として石炭の出炭や人員輸送なども行っており、年間40~50万トンの出炭を維持しました。しかし1930年前後の昭和恐慌と呼ばれる戦前最大の大不況のあおりを受けて1931年に閉坑となってしまいました。

2020年現在は、日本で現存する鋼鉄製の櫓としては最古である第二竪坑櫓や、レンガ造りの巻揚機室(第二竪坑巻揚機室)の建物が残されており、2015年に世界遺産として登録されています。

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宮原坑にはガイドが常駐しており、私たちは入り口のプレハブ小屋に声をかけた上でガイドの男性と共に見学していきました(見学料・ガイド料共に無料(2018年当時))。

まずガイドさんに連れられて向かったのは櫓のふもとに残された赤レンガ造りの壁。

この赤レンガの壁にはいくつか穴が空いており、ガイドさんの勧めでその穴を除いてみました。

上の写真ではわかりにくいですが、穴の中には水が溜まっており、その中に当時使われていたという物資や人を運搬するためのケージがそのまま残されていました。

宮原坑は竪穴(たて穴)式の坑口で、垂直方向に人や石炭を上げ下ろししていました。今はコンクリで穴は塞がれているそうですが、穴の一部はこうして今もそのまま残されているそうです。

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赤レンガの櫓壁を見学した後、錆だらけの門の中へと入ります。

門の中に入ると、いくつもの太いパイプが地下から延びていました。

このパイプは坑道の排水を行うための排水管で、それが当時のまま今の残されているのです。この宮原坑は元々排水目的で作られたと上でも書きましたが、ガイドさんによると、この排水管で水を出し続けたおかげで既存の坑口での石炭作業を続けることができたということで、三池鉱山にとってとても重要な役割を果たした排水管だったそうです。

そして上を見上げれば日本最古の鋼鉄製の櫓がどんとそびえ立っていました。

この第二竪穴櫓は、物資や坑内で働く人々、採掘した石炭などを上げ下ろしするための櫓で、櫓の上部に取り付けられた滑車に、巻揚機室から延びる太いワイヤーロープを通していました。そのロープの先に人々や物資、石炭などを運搬するためのケージを吊り下げており、櫓はその吊り下げているケージを支える役割をしていました。

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続いてはこちらの赤レンガの建物。こちらは宮原坑 第二巻揚機室という建物で、人や物資を載せたケージを吊るしたロープを巻き揚げるための巻揚機が入っています。

巻揚機室の前には貨車が置かれていました。こちらは石炭を運ぶ貨車で、その貨車の通る線路が櫓の真下まで延びていました。

そして巻揚機室の中には私たちの身長と同じくらいの巨大な巻揚機が2機も置かれていました(写真も撮影したのですが、カメラの設定をミスっていて全てブレてしまいました・・・)。

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巻揚機室で色々な説明を聞いた後は、櫓の真下へとやってきました。

第二竪坑櫓の真下にはかつて地下の坑道へと続いていたであろう大きな穴が空いており、その上に運搬用のケージが置かれていました。

このケージにはレールが敷かれており、先ほど見た石炭運搬用の貨車や、人を乗せた人車をケージの中に入れて地下へと運搬していたそうです。ガイドさんの勧めもあってこのケージの中に入ってみましたが、真っすぐ立つことができない狭いゲージでした。

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このように当時使われていた炭鉱施設が概ねそのまま残されている世界遺産・三池炭鉱 宮原坑。その貴重な施設を見学し終えた私たちは、ガイドさんと別れ駐車場へと向かいました。そして曇天に覆われた宮原坑を背に私たちは次の炭鉱遺産へと向かいました。

 


2日目の途中ですが、今回の記事はここまでとなります。

この後は、昭和時代の主力坑だった三池炭鉱 三川坑へと向かいますが、続きは次回の記事に書きたいと思います。

続きは「世界遺産のまち・大牟田へ③~三池炭鉱 三川坑へ~―2018年 九州北部一周の旅・Part9」へ

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