大宰府観光〈後編〉~九州随一のパワースポット・天開稲荷神社へ~―2018年 九州北部一周の旅・Part4

1日目・中編2(2018年12月15日)
~大宰府観光〈後編〉―九州随一のパワースポット・天開稲荷神社へ―~

(「大宰府観光〈前編〉~学問の神様・太宰府天満宮へ~―2018年 九州北部一周の旅・Part3」の続き)

天開稲荷神社~九州随一のパワースポットへ~

太宰府天満宮 本殿裏手

太宰府天満宮から天開稲荷神社へと向かうには、まず太宰府天満宮本殿の右手にある通路から本殿の裏側に抜けます。

本殿の裏側は下の写真のように人もあまりいない落ち着いた雰囲気の場所で、様々な石碑も建てられていました。

太宰府天満宮本殿の裏手の砂利道を道なりに進み、突き当りで右に向かうと「お石茶屋」という店が見えてきます。

この茶屋を抜けるといよいよ天開稲荷神社の鳥居が姿を現しました。

天開稲荷神社とは

天開稲荷神社は、太宰府天満宮の北東のに位置する神社で、鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から勧請された(分霊すること)九州最古とされる稲荷神社です。「天開」の名の通り、古来より”天に開かれたお社”とされ、御祭神である宇迦之御霊神(うかのみたまかみ)は、五穀豊穣や商工業の発展、さらに人々の開運と幸福をもたらす神として親しまれてきたそうです。

近年では「天開」の名にちなみ「天に道が開け、運気が上昇する」ことからパワースポットして隠れた人気を集めており、一説では九州一のパワースポットとされています。

私は特にパワースポット巡りにそこまで興味はありませんが、行って損ではないし時間も余ったので予定通り行ってみることにしました。

天開稲荷神社 参道

入り口

天開稲荷神社の入り口に建つ最初の赤い鳥居が見えてきました。

正面には小さな広場がありますが、その左手に次の鳥居と階段があるのでこちらから本殿を目指します。

お石トンネル

ちなみに階段手前の鳥居の左手から延びる脇道の奥にはいかにも何かが出そうな古びたレンガ造りのトンネルがありました。

怖そうな感じがしたので遠くから写真を撮っただけでしたが、この記事を書くにあたり調べたところ、通称「お石トンネル」というトンネルで、決して怖いスポットではなく、むしろある実業家のロマンチックな伝説が残るトンネルでした。

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この「お石トンネル」を造ったのは麻生太吉という実業家です。麻生太吉は、明治から大正時代に炭鉱業などで財を成した実業家で、2008~2009年の総理大臣である麻生太郎の曾祖父にあたる方でもあります。

お石トンネルは、麻生太吉が竈門神社(別名:宝満宮、ここから数キロ先にある1300年以上の歴史を誇る神社)への参拝の近道とするために造らせたとされるトンネル(1928年開通)で、正式名称は「宝満宮 参拝隧道」となっています。

しかし地元の人からは「お石トンネル」として親しまれています。この「お石」というのは人の名前で、本名は「江崎イシ」(1899~1976)と言います。お石さんは先ほど通過した「お石茶屋」で働いていた女性(ちなみにお石茶屋の名前のこの方から付けられたそうです)で、”筑前三美人”に選ばれるほどの色白の美人でした。その名前と美貌は東京にも知れ渡っているほどで、皇族の高松宮殿下、首相だった犬養毅や佐藤栄作など、多くの皇族・政治家・詩人・歌人・実業家などがお石さんを訪ねてこのお石茶屋を訪ねていたそうです。

その中の一人に、実業家であった麻生太吉がいました。お石さんに惚れていたという麻生太吉は、お石さんが竈門神社の近くにあった自宅から山の麓を遠回りしてお石茶屋に通っているのを知りました。それを見かねた麻生太吉は、自宅と茶屋を結ぶためのトンネルを造ってくれたというのです。故にこのトンネルは地元では「お石トンネル」と呼ばれるようになったそうです。

真偽のほどは定かではありませんが、惚れた一人の女性のためにトンネルを造る、まさにロマンチックな伝説の残るトンネルでした。

ちなみに「お石トンネル」は今でも麻生家が所有しており、太宰府天満宮の境内で唯一の私有地になっているそうです。

天開稲荷神社 参道

さて話を天開稲荷神社に戻します。

天開稲荷神社の参道は長い階段になっています。

その階段を上ること数分、ようやく平坦な道に出てきます。

そこから正面に向かうと、伏見稲荷大社の千本鳥居を彷彿とさせるような多数の赤い鳥居が階段に建てられていました。

この階段は先ほどよりも幅が狭く急でした。ちなみに最初の階段を上り切った後で左手に行くと緩やかな坂を上って社殿に向かうことができるそうです。

この急な階段を上り切ると、天開稲荷神社の社殿が見えてきます。

天開稲荷神社 社殿

天開稲荷神社の社殿は想像以上にこじんまりとしていました。

近づいてみると社殿には大量の鈴が付いていました。

近づいてみるとそれぞれの鈴には干支の名前が刻まれていました。

こちらの参拝方法は「十二支参り」という少し特殊な参拝方法になっていました。まず干支の書かれた左右6本・計12本の鈴の中から自分の干支が書かれている鈴を選んで鳴らします。その上で、中央の大鈴を鳴らして二礼二拍手一礼をする形でした。

この参拝方法に倣ってお参りを行いました。

天開稲荷神社 奥の院 ~九州随一のパワースポット~

社殿があるスペースはそこまで広くないのですが、社殿に向かって左手に「奥の院→」と書かれた看板を見つけました。

看板の通り右を向くと、そこには赤い鳥居がたくさん建てられた細い階段が延びていました。

この階段を上っていくと

小さなほこらのような場所に到着しました。

こちらが九州一のパワースポットとされる天開稲荷神社の「奥の院」です。

中はこのようになっていて、石で積まれたほこらの中にお神酒などが置いてありました。

中に入って良いのかどうかよくわかりませんでした(後で調べた感じだと入っても大丈夫そう…多分)が、とりあえず中に入ってみると真っすぐ立つことはできない狭さでした。なんだか来ては行けない神聖な場所に来てしまったのではないかと思ってしまうほど神聖な感じのするほこらでした。

ちなみにこの奥の院が最強パワースポットであることを知らなかったせいもあるのか、そこまでパワーは感じませんでした(単にそういうのに疎いだけかな笑)。しかし神聖な感じがしたのはそのパワーのせいかもしれません…

西鉄電車で夕暮れの博多・天神へ

太宰府駅

天開天満宮の奥の院を参拝した私は、社殿の前まで戻ってきました。社殿からは行きに上った階段ではなく緩い坂道を下り太宰府天満宮の裏手へと戻りました。そこから太宰府天満宮の西側の道路を通って、参道へと出て太宰府駅へと戻りました。

太宰府駅に到着したのは15時50分頃。日が短い冬至に近い時期だったので駅には既に夕日が差し込んでいました。

太宰府駅の改札を抜けた私は、電車が停車している2番線ホームへと向かいました。

停車していたのは行きにも乗車したのと同じアイスグリーン色の西鉄7000形電車。

この電車に乗り込んだ私は発車のときを待ちました。

西鉄太宰府線(大宰府→西鉄二日市)

私を乗せた15時53分発の西鉄二日市行きの列車は、定刻通り太宰府駅を出発しました。

次の停車駅で西鉄太宰府線唯一の途中駅である西鉄五条駅では列車待ち合わせでしばらく時間があったのでホームに降りてみることにしました。

西鉄五条駅のホームはとても狭く、白線の内側を歩くのもやっとな感じでした。そこに太宰府駅へと向かう観光列車「旅人」が入線してきました。

「旅人」が入線して間もなく列車の中に戻ると、西鉄二日市行きの列車のドアは閉まり、西鉄二日市駅へと走り始めました。

西鉄二日市駅

太宰府駅を出発してから約6分後、列車は西鉄二日市駅に到着しました。

 

この後の電車は16時09分発の特急・西鉄福岡行きです。

実はこの後、福岡県南部の街・大牟田に住む大学時代の友人・F氏と西鉄福岡駅で17時に落ち合うことになっていました。しかし次の特急列車に乗ると早く着きすぎると思いました。

そこで時間つぶしのため、この特急列車と待ち合わせする16時11分発の普通・西鉄福岡行きに乗ることにしました。

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6・7番線ホームで列車を待っていると向かいの5番線に小郡行きの急行列車(西鉄3000形)が入線してきました。

それから間もなく、7番線に普通・西鉄福岡行きの列車(西鉄6000形)が入線してきました。

この列車に乗り込んだ私は、特急・西鉄福岡行きの列車が出発するのを見送り発車のときを待ちました。

そして16時11分、列車は定刻通り西鉄福岡駅へと出発しました。

西鉄福岡駅

普通・西鉄福岡行きの列車の中はちょうど立つ人がいるかいないかくらいの混み具合で、疲れていた私は座ることにしました。そのままウトウトすること30分後の16時41分、列車はいつしか終点の西鉄福岡駅に到着しました。

西鉄福岡駅には私が乗車した西鉄6000形と、西鉄3000形の電車が停車していました。

そして改札から外に出た私はこの後、友人・F氏と共に夜の博多・天神の街へと繰り出すのでした。

 


1日目の途中ですが、今回はここまでとなります。

この後は、大学時代の友人・F氏と共に夜の博多・天神の街を散策しますが、続きは次回の記事に書きたいと思います。

 

続きは「夜の博多・天神散策〈前編〉~福岡屈指のイルミネーションへ~―2018年 九州北部一周の旅・Part5」です。

「2018年 九州北部一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 

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