2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part14ー遂に日本最北端の地・宗谷岬へ!

8日目・後編(2018年3月5日)
~遂に日本最北端の地・宗谷岬へ!~

(「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part13ー日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈後編〉」の続き)

日本最北端の地・宗谷岬へ!

稚内駅

旭川駅から普通列車で揺られること約6時間、長年の悲願だった日本最北の駅・稚内駅に到達しました。ここからもう一つの悲願である日本最北端の地・宗谷岬を目指します。

しかし宗谷岬へと向かうバスの発車時間まで約1時間あったので、その間に駅舎内のベンチで休んだり、駅舎の中にあるバスターミナルの案内所でバスの切符を買ったり、コンビニや観光案内所、お土産屋などが入っている駅舎の中を散策したりしました。

そうこうするうちに約1時間が経ちました。13時10分頃、私は駅舎の横にある稚内駅前バスターミナルの1番乗り場へと向かいました。乗り場にはすでに10人程度の人が並んでおり、その多くが恰好からして宗谷岬を目指す”同志”だろうと思いました。

バスは13時20分発予定でしたが、定刻より約5分遅れでやってきました。今から乗車するこのバスは1989年に廃止となったJR天北線の代替バスに相当する路線バスで、路線名も宗谷バス「天北宗谷岬線」とかつての”天北線”の名を冠していました。行き先もかつての天北線の始発駅である音威子府行きです。

※かつてのJR天北線は南稚内~鬼志別の区間は内陸部を横断する形でしたが、現在の宗谷バス「天北宗谷岬線」では宗谷岬を経由する海沿いのルートに変更されています。

そんな約30年前に廃止となったかつての天北線を思い起こさせる(といっても私はまだ生まれてすらいませんが笑)路線バスに乗り込んだ私は、日本最北端の地・宗谷岬を目指しました。

宗谷バス「天北宗谷岬線」の旅(稚内駅~宗谷岬)

稚内駅前バスターミナルを出発したバスは稚内市内を国道40号に沿って南へと進みます。車窓からは稚内の街並みが広がっていました。

南稚内駅の前を過ぎて進路を徐々に東に変えると、バスは国道238号へと入りました。

そのまましばらく国道238号を走り続けると、進行方向左手の車窓から日本海が見えてきました。日本海の上空は未だオホーツク海沖で発達している爆弾低気圧の影響からか鉛色の雲に覆われていました。

その後バスは進路を北寄りへと変えていきます。左手の車窓からは時おり鉛色の雲に覆われた日本海が見え、右手には小高い丘が迫ってきていました。民家も道路沿いにまばらに建つだけで、北へ行くほど民家が全く見られない区間も見られました。

そんな最果てを走る日本最北のバスに揺られること約55分、バスは定刻より約10分遅れで遂に宗谷岬バス停に到着しました。

1度目の北海道一周の旅で宗谷岬への到達を泣く泣く断念してからちょうど5年、遂に長年の悲願を達成するときがやってきたのです。

日本最北端の地・宗谷岬

バスを降りると目の前には横長の駐車場が広がっていました。そして宗谷岬には、オホーツク海で未だ発達をし続けている爆弾低気圧の影響で強風(5~10mくらい)が吹き荒れていました。外の気温は-5℃とそこまで寒いわけではありません(←あくまでも冬の北海道での話です笑)が、強風が体に容赦なく吹き付けていたため体感温度はずっと寒く感じました。

そんな強風が吹き付ける中、私は三角錐がトレードマークの「日本最北端の地の碑」へと向かい歩きます。

(ちなみにその道中には「日本最北の無料Wi-fi」もありました↓)

そしてバス停から歩くこと約100m。少しうず高く積もった雪の上に上ると、目の前には鉛色の空に覆われ白波の立つ日本最北の海が一面に広がっていました。そしてその手前には日本最北端の場所を示す「日本最北端の地の碑」が見えていました。

私はゆっくりと雪を踏みしめながら「日本最北端の地の碑」へと近づいていきます。

そして遂に「日本最北端の地の碑」の目の前にやってきました。

私はこの碑の目の前に立って遂にここまで―日本最北端の地まで来てしまったのだな…そんなことを思いました。

私は碑の上に上り、三角錐の隙間から日本最北の海を覗きました。そこからは鉛色の海と空が見えており、白波の音と吹き付ける風の音が聞こえている―これが私が体験した人生初の日本最北の地・宗谷岬からの情景でした。

極寒の宗谷岬からの帰還

碑を降りた後、他の観光客が記念撮影するのを見ながら海を眺めたり写真を撮ったりしていました。

「日本最北端の地の碑」や海を見たり撮ったりすること約10分、相変わらず体に容赦なく吹き付ける冷たい強風は私の体力を徐々に奪い体を冷やしていました。とは言え、初めての日本最北端の地・宗谷岬に夢中だったので体が冷えていることはそこまで強く感じませんでした。

他の観光客が碑に登って記念写真を撮っているのを見ているうちに、私も自分の姿が映った記念写真を残したいと思ってきました。そこで他の観光客に私の写真も撮ってもらおう思いました。

そのときです。iPhoneの画面が突然ブラックアウトしてしまったのです!(このとき充電は約40%残っていました) 私は少しパニックになりながらiPhoneの電源を何度も入れようと試みました(当時はネット兼カメラ用でしたからね…)。しかし画面に充電マークが出るだけでなかなか入りません。

そんな前代未聞の事態になって私はようやく撮影のためにずっと外に出しっぱなしになっていたiPhoneがかなり冷えていたことに気づきました。それと同時に指先や顔をはじめ、体も相当冷えていることに気づきました。

そこでとりあえずどこかで暖まろうと思い、私は宗谷岬の駐車場横にある”日本最北のお土産屋さん”に向かいました。しかし折からの強風の影響からか店は閉店していました。そして相変わらず冷たい強風が私に吹き付け、体も相当冷えてきました。

バスが来るまでまだ30分くらい時間がありました。このまま外にいると体が冷え切って倒れてしまう―そう思いながら駐車場の付近をうろうろしていると、駐車場の傍にお手洗いの建物があるのを発見しました。しかも近づいてみると建物の入り口は自動扉になっていて、中に入ると暖房が効いていてポカポカしていました。そこで私はここで暖を取りつつ冷たくなったスマホを体に押し当てて暖めることにしました。

最初のうちは手先はまともに動かない状態で顔や耳も相当冷たく軽い放心状態になっていました。そしてスマホも今までにないくらい冷たくなっていました。

それから体とスマホを暖めること約15分、体もそれなりに暖まりスマホの電源を入れてみると遂に電源が入りました。しかしそこに表示された充電の残量はわずか「1%」!。その事実に唖然としながらも私は写真を撮るために再び外に出ました。

———

再び外に出た私は「日本最北の地の碑」へと向かいました。そして近くにいた観光客に頼んで私が映った記念写真を撮ってもらいました(ただ写真写りがかなり悪かったので結局誰にも見せれませんでしたが…)。

その後、再び先ほどの暖房の効いたお手洗いに入り暖を取りました。そしてバスの発車約5分前に宗谷岬バス停へと向かいました。

容赦なく吹き付ける強風に耐えながら待ち続けること約10分、定刻(15時01分発予定)より5分遅れで稚内駅行きのバスが到着しました。

このバスに乗車した私は稚内駅へと向かいました。

———

バスに乗った直後も寒さから体が軽く震えていましたが、バスの暖房で次第に暖まりました。そして宗谷岬からバスに揺られること約1時間、バスは稚内駅へと戻ってきました。

稚内駅に戻った私はまず、iPhoneの充電が1%しかないのは心もとないと思い充電スポットを探しました。すると稚内駅の駅舎1階のお土産屋の前に置いてあるのを見つけました。ここで20分くらい充電をして電池もようやく10%くらいまで戻りました。

その後は、お土産屋を巡るなど駅舎の中を適当にうろついていましたが、体の芯がまだ冷えていて疲労困憊というのもあって最終的には駅舎のベンチに座って過ごしました。

特急「宗谷」で行く夜の宗谷本線

稚内駅に戻ってから約1時間40分後、改札が始まったのでホームへと向かいました。日も暮れかかり電灯に照らされたホームには特急キハ261系の特急「宗谷」・札幌行きが停車しており、少し写真を撮ったのち私はその列車の中に入りました。

そして17時46分、列車は稚内駅を後にしました。ここのところただでさえ4時台起床が続いていた上に宗谷岬で体がかなり冷え切っていたため、日本最北の地を訪れたことや日本最北の駅を離れる余韻などを感じることなく、ただ旭川のホテルに早く戻ってシャワーを浴びてゆっくりしたいという気持ちでいっぱいでした。

列車は稚内の市街地を離れると完全に闇に包まれていました。窓には反射した車内の様子が映っており、暖色系の照明で黄色っぽく照らされた車内を私はただぼんやりと眺めていました。

時にはうたた寝しながらも過ごすこと約3時間50分、定刻より約10分遅れで旭川駅に到着しました。

旭川駅に到着した私はぐったりとした体を起こしてホームに降り立ち改札の外へと向かいました。そして街灯に照らされた真冬の夜の旭川の街を歩きホテルへと向かいました。

 

続きは「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part15―旅の終わり〈前編〉~室蘭支線・7.0kmの旅~」へ

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