2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part13ー日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈後編〉

8日目・中編(2018年3月5日)
~日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈後編〉~

(「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part12ー日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈前編〉」の続き)

普通列車で行く宗谷本線 片道6時間の旅〈後編〉

宗谷本線(音威子府~幌延)

午前9時13分頃、列車は音威子府(おといねっぷ)駅を定刻より5分遅れで発車しました。

朝の6時3分に旭川駅を出発してから約3時間10分。これまで30の駅に停車し、時間的にも折り返しを迎えました。

また今回の旅行も既に8日目。加えてこの日も含めて半分の4日は午前4時台に起床するなど、疲れもかなり溜まってきていました。そのためいくら長年の悲願だった宗谷本線と言えども、時おりウトウトするときもありました。

そんな中、音威子府駅を出発してしばらくすると車窓には山々と雄大な天塩川が見えてきました。宗谷本線は名寄駅辺りから天塩川に沿って北上を続けていましたが、ここまではっきりと天塩川の姿を捉えたのはこのときが恐らく初めてでした。その雄大な景色にただただ見とれることしかできませんでした。

列車は山の合間を縫うように天塩川に沿って北上していきます。

音威子府から次の主要駅・幌延までの間には10駅がありますが、このうち7駅は秘境駅ランキングのトップ100にランクインする秘境駅が続きます。

ということで、再び途中駅の紹介をしたいと思います。

音威子府の次の停車駅・筬島(おさしま)は秘境駅ランキング54位(2019年8月当時)の秘境駅です。こちらも雪の中に貨車を使った駅舎がポツンと立っています。貨車の外壁は2012年に改修したそうで新しい感じがしました。

その次の停車駅・佐久(さく)駅は比較的大きい駅で、駅舎は「佐久ふるさと伝承館」という公共施設になっていました。

その次の天塩中川(てしおなかがわ)駅も比較的大きい駅で、レトロなたたずまいが印象的なシックな駅舎が建っていました。

次の停車駅・歌内(うたない)駅は秘境駅ランキング46位(2019年8月当時)の秘境駅です。貨車を使った駅舎で、雪が高く積もっているのが印象的でした。

次の問寒別(といかんべつ)も貨車を使った駅舎が建っていました。この駅の周辺にはちゃんと民家が建っているようでした。

ここから先は5駅連続で秘境駅が続きます。

次の糠南(ぬかなん)駅はなんと秘境駅ランキングでトップ10入り(9位・2019年8月当時)を果たした日本屈指の秘境駅です。板張りの細いホームの上に駅名標と小さい物置小屋…ではなくおそらく待合室が建っているだけの小さな駅で、その奥には雪と木々が見えるだけという秘境感漂う駅でした。

そして糠南駅を出てしばらくすると、雪に覆われた天塩川が見えてきました。ここへきてさらに最果て感が増してきました。

次の停車駅・雄信内(おのっぷない)は秘境駅ランキング52位(2019年8月当時)の秘境駅です。1953年に改築された木造駅舎が当時のまま残されており味わい深さを出していました。

次の停車駅・南幌延(みなみほろのべ)駅も秘境駅ランキング43位(2019年8月当時)にランクインする秘境駅です。板張りのホームと駅名標しかない簡素な駅でした。

次の上幌延(かみほろのべ)駅も秘境駅ランキング44位(2019年8月当時)に入る秘境駅です。こちらにも貨車を使った駅舎が建っていました。

そして音威子府駅を出発してから約1時間20分、定刻より5分遅れで途中駅の幌延駅に到着しました。

幌延駅

幌延駅では約17分(定刻なら22分)の停車時間がありましたので再び列車の外に出てみました。

幌延駅は天塩郡幌延町にある駅で、特急列車も停まる主要駅の一つです。かつては留萌本線の現在の終点・留萌駅から日本海に沿って北上していた羽幌線(留萌~羽幌)の終点でしたが、羽幌線もまた赤字ローカル線廃止の波に飲まれ1987年、国鉄(JRの前身)分割民営化の2日前に廃止(国鉄最後の廃線)となりました。

幌延駅の駅舎はプレハブっぽい造りの駅舎で、他の主要駅である名寄駅や美深駅と比べて小さい駅舎でした。

駅舎の中には都会ではあまり見かけなくなった石油ストーブがあり、その周りにベンチが配置されていました。

少しの間ストーブの近くの席に座り暖を取った後、列車に戻りました。そして午前10時53分、列車は定刻通りに幌延駅を発車しさらに北へと向かいます。

宗谷本線(幌延~稚内)

幌延駅を出た列車は2駅先の豊富(とよとみ)駅で列車の行き違いのためにしばらく停車しました。ここでも私はホームに出て写真を撮りました。

豊富駅には約7分間停車した後、午前11時16分に定刻通り発車しました。列車は引き続き日本最北の街に向かって北へと走り続けます。

豊富駅から4駅、列車は日本最北の無人駅&木造駅舎のある駅である抜海(ばっかい)駅に到着しました。抜海駅もまた秘境駅ランキング30位(2019年8月時点)にランクインする秘境駅です。木造駅舎は大正時代の1924年の開業当時から70年以上使われている駅舎で、独特の風情を漂わせていました。

そして抜海駅を出ると残る駅は南稚内と日本最北の駅・稚内の2駅のみ。宗谷本線の旅もいよいよ終わりを迎えます。

抜海駅を出ると再び山の合間の谷間を縫うように走るようになります。それからしばらくすると山の合間から水面がちらっと見えてきます。

そして再び山肌に隠れてしばらく経つと左側の車窓が完全に開けました。目の前に見えているのは日本海です。

このあたりの区間は宗谷本線屈指の絶景区間の一つとして知られており、晴れていれば左手後方に利尻島にそびえる利尻山(通称”利尻富士”)も見えるはずでした。しかし爆弾低気圧が通過した直後ということもありこの日はあいにくの曇り空、残念ながら見ることは出来ませんでした。しかし日本海の景色だけでも感嘆できる素晴らしい光景でした。

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旭川の市街地から始まり雪に覆われた田園地帯を駆け抜け、やがて山の合間を縫うように走り、天塩川や日本海の絶景を見せてくれた宗谷本線の旅。バラエティに富んだ車窓や秘境駅の数々はまさに”最果てのローカル線”にふさわしい路線でした。

そんな宗谷本線の旅も間もなく終わりを迎えます。抜海駅を出発して14分、列車は次の停車駅である南稚内駅に到着しました。

南稚内駅はもともと稚内駅として開業した駅でかつては宗谷本線(&1989年廃止の天北線)の終点でした。その後、宗谷本線はさらに北へと延伸して稚内港駅が作られましたが、後にこの稚内港駅を現在の稚内駅とし、かつての稚内駅を現在の南稚内駅としました。そのため南稚内駅の方が市の中心部に近く、地元の人たちの多くはここで降りていきました。

そして遂に終点…と行きたかったところでしたが、稚内駅からの回送列車を待つためにしばらく南稚内駅で停車することになりました。

停車すること約4分、列車は南稚内駅を出発しました。

そして遂にそのときは来ました。12時11分、列車は約4分遅れで日本最北の駅・稚内駅に到着しました。旭川駅を午前6時過ぎに出発してから約6時間、日本最北の鈍行列車で行く宗谷本線の旅は終わりを告げたのです。

稚内駅

稚内駅に停車すると、私は真っ先に列車の先頭へと向かいました。先頭の窓からは線路の終端を表す車止めのマークが見えました。東京駅から1548km続いた路線もここで終わりを迎えるのです。

稚内駅のホームは1面1線と規模は小さく、旭川方面に目を向けると線路がひょろひょろと南に延びていました。

ホーム上には”日本最北端”と書かれた看板が数カ所置かれていました。

そして日本最北端の車止めに改めて近づくと、車止めは上のマークを残して完全に埋もれており、その周りは改札へと向かう通路とガラス張りの窓に囲まれていました。ここで線路が終わるのを見ていると日本最北の駅に遂にやってきたのだなと感じました。

通路を抜けて改札を出ると、そこには広々としたきれいな空間が広がっていました。今の稚内駅の駅舎は2012年にできたばかりの4代目の駅舎で、観光案内所やお土産屋、バスターミナルの案内所などが入る「キタカラ(KITAcolor)」という複合施設になっています。

そんな駅舎の中には先ほどの線路を延長するような形でレールが敷かれていました。

そのレールは駅舎の外まで続いており、足元の氷に足を取られそうになりながら慎重に進むとそこにもう一つの車止めが置かれていました。

この線路と車止めは「日本最北端の線路」というモニュメントで、昔建っていた3代目の駅舎の時代には稚内駅の線路がここまで延びていたそうです。しかし現在の4代目の駅舎建設と駅前の再開発に伴い、稚内駅が南へ約100m移動したことから、かつての日本最北の線路と車止めをモニュメントとして残しているとのことです。つまりかつてはこちらの方が”真の”日本最北端だったということになります。

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その”真の”日本最北端の車止めの位置から振り返るとそこには現在の4代目となる稚内駅の駅舎が建っていました。

稚内駅の駅舎を写真に収めた私は再び駅舎の中に入りました。そしてここから長年の悲願だった日本最北端の地・宗谷岬への最後の旅路が始まるのです。

 


8日目の途中ですが、今回はここまでとなります。

次回は遂にもう一つの悲願であった日本最北端の地・宗谷岬へと向かいます!…が、その続きは次回の記事で書きたいと思います。

 

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