2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part12ー日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈前編〉

8日目・前編(2018年3月5日)
~日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅〈前編〉~

(「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part11―滝川-遠軽乗りつぶしの旅」の続き)

普通列車で行く宗谷本線 片道6時間の旅〈前編〉

旅の序章

この旅行から遡ること約5年前の2013年。私は真冬の北海道に来ていました。人生初の鉄路での北海道一周の旅。今はなき寝台特急「北斗星」や夜行急行「はまなす」に乗車したり、”日本一の秘境駅”・小幌駅を訪れたりと今まで夢見ていた様々な悲願を果たし、冬の北海道の鉄路を満喫しました(そのときの旅行記はこちら)。

しかし旅の途中で襲った爆弾低気圧により、唯一果たせなかった悲願がありました。それは日本最北の路線・宗谷本線の乗車、そして日本最北端の地・宗谷岬への到達。当時は旅程をずらすことができず泣く泣く断念し、いつの日か再挑戦することを誓いました。

それから約5年経って実現した2度目にあたる今回の北海道一周の旅。途中、雪道で転倒して左半身を強打したり、5年前と同じ規模の爆弾低気圧に襲われ網走に丸2日閉じ込められるなど色々なハプニングもあり、予定も大幅に狂いました。

しかし8日目を迎えたこの日、遂に5年越しの悲願を達成するときがやってきたのです。

旭川駅

早朝5時半、私はまだ暗闇に包まれた旭川駅にやって来ました。

ほぼ誰もいないだだっ広い旭川駅の駅舎に入った私は、改札を通りエスカレーターで5・6番線ホームへと向かいました。

ホームに到着してから約5分後、5番線に2両編成の普通列車が入線しました。行き先は日本最北の街・稚内―そう、5年越しの悲願であった日本最北の路線・宗谷本線に乗車するときが遂にやってきたのです。

宗谷本線は旭川と日本最北の街・稚内を結ぶ全長259.4kmの路線で、2019年現在、文字通り日本最北の鉄道路線です。天塩川や利尻富士を始めとする北の大地の原風景、数々の秘境駅など見どころは満載で、”最果ての路線”にふさわしい日本屈指のローカル線です。

今から乗車する列車は、午前6時3分発の普通・稚内行きで、宗谷本線を終点の稚内まで6時間かけて走り抜ける鈍行列車です。宗谷本線の普通列車のうち乗り換えなしで稚内へと行けるのはこの午前6時3分発の列車だけ(2018年2月当時)で、宗谷本線に乗るならこの列車で!と5年前からずっと思い続けてきた列車でした。

列車が到着してしばらくするとドアが開き、私は列車の進行方向左側のボックス席に座りました。最初はあまり人はいませんでしたが、徐々に人が集まり、最終的には全ての4人掛けのボックス席に1人か2人座っていました。

そして午前6時3分、列車は定刻通り旭川駅を出発しました。ここから5年越しの悲願であった真冬の北の大地を駆け抜ける片道6時間・日本最北の鈍行列車の旅が始まるのです。

宗谷本線(旭川~名寄)

旭川駅を出発する頃には、窓の外の景色も少し明るくなっていました。そんな薄暗い夜明けの旭川の街を列車は走り抜けます。

新旭川駅で網走へと向かう石北本線に別れを告げた列車は引き続き北へと走ります。しばらくは市街地や平野部を走っている感じでしたが、やがて列車は塩狩峠越えのため山の中へと入っていきました。

左右に木々が迫る中、雪に覆われた駅に停車しました。その駅の名は塩狩(しおかり)駅。周りを木々に覆われた塩狩駅にはしんしんと雪が降っており、駅名標は完全に雪で囲まれていました。旅の早々いきなりすごい山奥の駅にやってきたなという感じがしました。

そんな塩狩駅を出てしばらくすると列車は再び平野部を走ります。

次の和寒(わっさむ)駅やその隣の剣淵駅からは通学中の学生が乗車し、席もそこそこ埋まるようになってきました。車窓からは雪に覆われた北の大地が広がっていましたが、時おり住宅街も見受けられました。

剣淵駅から2駅先の士別(しべつ)駅はそこそこ大きい駅で、一部の学生が列車を降りていきました。

士別駅はそこそこ大きい駅でしたが、ここから先は下士別(しもしべつ)、多寄(たよろ)、瑞穂(みずほ)と簡素な駅が続きました。その次の風連(ふうれん)駅は和寒駅と同規模の駅で学生もそこそこ乗ってきましたが、その隣の東風連は再び簡素な駅でした。こんな感じで大きめの駅から簡素な駅までバラエティに富んでおり、それを見ているだけでも楽しめる感じでした。

そして旭川駅を出発してから約1時間40分、列車は主要駅の一つである名寄駅に到着しました。

名寄駅

名寄(なよろ)駅では旭川行きの列車との行き違いのため8分停車するとのことでした。そこでこの駅で下車する学生たちに混じって列車の外に出てみることにしました。

名寄駅は北海道名寄市にある駅で、特急列車も停車する主要駅の一つです。かつては名寄本線(名寄~湧別~遠軽)と深名線(深川~名寄)という2つの路線も乗り入れるターミナル駅でした。しかし赤字ローカル線廃止の波に飲まれ名寄本線は1989年に、深名線は1995年にそれぞれ廃止となりました。

そんな2つの長大ローカル線が廃止となって約20年以上経った名寄駅のホームには朝日が差し込んでおり、雪に覆われたホームや列車を照らしていました。

改札を通り外に出ると、旭川行きの上り列車から降りて来たであろうたくさんの学生が駅舎から出てきました。彼らが行き去るのを待ってから駅舎や駅舎内の写真を撮りました。

ホームに戻るとちょうど列車の切り離し作業が行われていました。この先の区間では1両編成で走るようです。

そして午前7時54分、列車は定刻通り名寄駅を発車し、稚内へと向けて再び走り始めました。

宗谷本線(名寄~美深)

名寄駅を出てからも、雪に覆われた大地を北へと進んでいきました。名寄駅にいた頃は晴れていましたが、しばらくすると雪が降り始め、遠くの空は鉛色の雲で覆われていました。

名寄駅を出発してから約25分後、列車は美深駅に到着しました。

美深駅

美深(びふか)駅では定刻通りであれば1分間停車するだけでした。そのため私は、列車から降りていく乗客を車内から見守っていました。

しかし、この駅ですれ違うはずだった稚内始発の普通・名寄行きの列車が遅れていたため、私の乗る稚内行きの列車は美深駅で10分ほど停車するというアナウンスが流れました。そこで再び列車の外に出てみました。

美深駅は中川郡美深町にある駅で、特急列車も停まる主要駅の一つです。かつては”日本一の赤字路線”と言われた美幸(びこう)線(美深~仁宇布)の始発駅にもなっていましたが、1985年に廃止となってしまいました。

美深駅では大粒の雪が降っており、ホームや跨線橋の屋根は雪で覆われていました。

美深駅の駅舎はレンガ造りで、とても大きな建物でした。その屋根の上には廃止となった美幸線を偲んで作られた「美幸の鐘」という時計台が建てられており、特急列車の停車時に鐘を鳴らしているそうです。

また美深駅の2階には廃線となった美幸線の資料が保管されている「旧国鉄美幸線資料館」もありました。しかし時間が早かったためまだ開いていませんでした。

そんなかつての美幸線に思いを馳せながらホームに戻った私は、しばらく写真を撮った後、列車の中に入りました。

列車の中で待つこと数分、すれ違う予定だった名寄行きの列車がようやく到着しました。そして私の乗る稚内行きの列車は美深駅を定刻より約13分遅れで発車しました。

宗谷本線(美深~音威子府)

美深駅を出発すると、車内に残ったのは私と同じような旅行客らしき人だけで、その数も旭川駅を出発した時よりも減っていました。車窓からは今までとは打って変わり山が近づいてきており、列車は山の合間を縫うように北へと走ります。

美深駅から次の主要駅である音威子府駅までは、簡素な造りの小さな駅が続きました。

そこで急ではありますが途中駅の紹介をしたいと思います。

美深駅の次の停車駅・初野(はつの)は林の中にある駅で、細いホームの上には駅名標しかなく、すこし離れたところに小さな待合室が置いてありました。

次の停車駅・紋穂内(もんぽない)は著名な鉄道マニアである牛山隆信氏が監修した「秘境駅ランキング」(以下、単に”秘境駅ランキング”と表記)で30位(2019年8月当時)にランクインする秘境駅です。林の中にホームと駅名標と貨車を使った駅舎が置いてあるだけでの小さな駅でした。

次の停車駅・恩根内(おんねない)駅は少しおしゃれな小さな駅舎が建っている小さな駅でした。

次の停車駅・豊清水(とよしみず)駅とその次の駅・天塩川温泉(てしおがわおんせん)駅は共に秘境駅ランキングにランクイン(豊清水:21位、天塩川温泉:48位、共に2019年時点)する秘境駅でした。

このうち天塩川温泉駅は名前だけ見ると温泉観光地の最寄り駅を想像するかもしれません。しかしそこに建っているのは小さな駅舎とホームだけで、駅の周囲には雪原と山が広がっており少しビックリしました(ちなみに温泉施設は駅から約1km離れたところにありますが、そこにあるのは「住民保養センター 天塩川温泉」の1軒だけだそうです)。

次の停車駅・咲来(さっくる)も小さな駅舎があるだけの簡素な駅でした。

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そんな民家も少ない人里離れた駅に停車しながら進むこと約40分後、列車は定刻より約7分遅れで音威子府(おといねっぷ)駅に到着しました。

音威子府駅は中川郡音威子府村という村に作られた駅ですが、特急列車も停まる主要駅の一つです。かつてはここからオホーツク海沿岸を経由して南稚内駅へと至る天北線(音威子府~浜頓別~南稚内)という長大ローカル線が出ていましたが、1989年に廃止となってしまいました。

今回は停車時間が少なかったため降りられませんでしたが、ここ音威子府駅には”日本最北の駅そば”「常盤軒」や、かつての天北線の資料が保管されている「天北線資料室」があったりします。

今回は停車時間が短く降りることができなかったので、音威子府駅のホームを車内から眺めていました。そして列車は定刻より約5分遅れで音威子府駅を出発しました。

 


8日目の途中ですが、今回はここまでとなります。

ここから列車は終点の稚内へと向かい走り続けますが、続きは次の記事に書きたいと思います。

 

続きは「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part13ー日本最北の街へ!普通列車で行く宗谷本線・片道6時間の旅(後編)」へ

「2018年 北海道一周の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 

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