2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part10ー石北本線横断の旅

6日目(2018年3月3日)
~石北本線横断の旅~

(「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part9ー今は亡き湧網線を求めて」の続き)

石北本線横断の旅

網走駅

網走駅に到着してから3日目。この日の朝も旭川へと向かう石北本線は運転を見合わせたままでした。

ここから乗車する石北本線を特急列車を使わずに普通・快速列車のみで乗り通すには、網走8:44発か11:58発のどちらかに乗車する必要がありました(2018年2月当時)。そのうち日没前に全線乗り通せるのは前者の8:44発のみでした。そのため「外が明るいうち(日の出から日没まで)に特別料金の発生しない普通・快速などの列車で乗車した路線を乗りつぶし路線とする」というルールを設けている私としては、石北本線の乗りつぶし認定のために網走駅8:44発の列車に乗車したいと思っていました。

しかし残念ながら網走8:44発の普通列車の運休は前日までに決定していました。そのため今回はこの列車に乗車することを断念し、動く見込みのあった網走11:58発の普通列車に乗車することにしました。

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そのためこの日の朝も前日同様ゆっくりと過ごしました。そしてこの日はホテルをチェックアウトすることになっていたのでチェックアウト時刻の午前10時前にホテルを出て網走駅へと向かいました。

網走駅には前日同様、多くの人が運転再開のときを待っていました。私も待合室の中に入り待機することにしました。

網走駅の待合室で待つこと約2時間近く、遂に2日ぶりに網走駅の改札が再開しました。私は1番線ホームに向かい、再開後の1番列車となる網走11:58発の普通・遠軽行きに乗車しました(ちなみに旭川に最初に到着するのは網走12:35発の特急「大雪4号」旭川行きであるため、多くの乗客は待合室に残ったままでした)。

そして午前11時58分、列車は定刻通り網走駅を発車しました。こうして2日ぶりに鉄道の旅が再開しました。

石北本線の旅①(網走~遠軽)

ここから乗車する石北本線は、旭川駅の2駅隣の新旭川駅と網走駅の間を結ぶ全長234.0kmの路線で、5年前の北海道一周の旅では爆弾低気圧が来る直前にこの路線に乗車しています(そのときの旅行記はこちら)。そのときは特急列車に乗車しましたが、今回は普通列車で全線走破を目指します。

網走駅を出発して間もなく列車は網走湖の湖畔を走ります。5年前に乗車した時には網走湖から湯気が立ち上っており、その幻想的な光景は今でも覚えていますが、今回乗車したときの記憶は何故かありませんでした(前日オホーツク流氷館の展望室から見たときに網走湖が雪で覆われていたことから、湖だとわからなかったのではないかと思います)

その後も列車は各駅に停車しながら走り続けます。

そして網走駅を出発してから約1時間10分後の13時7分、列車は北見駅に到着しました。この北見駅では後続の特急「大雪4号」の待ち合わせを行うため、約25分停車するとのことでした。そこで北見駅のホームに降りてみました。

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列車は3番線に停車しており、私は2・3番線ホームに降り立ちました。北見駅は北海道の中では比較的しっかりとした駅である印象を受けました。ホームは2面3線でホーム長は長く取られており、駅の周辺にはデパートと思しき高い建造物も見られました。

北見駅の1番線ホームには多くの乗客がいました。そこに待ち合わせていた後続の特急「大雪4号」旭川行きが入線しました。ホーム上の乗客はその列車に乗り込み旭川方面へと向かいました。

特急「大雪4号」を見送った後、普通・遠軽行きの列車に戻りました。そして特急「大雪4号」が発車してから8分後の13時33分、普通列車は再び終点の遠軽を目指して走り出しました。

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北見駅を出発した列車は引き続き雪に覆われた北の大地を走り続けます。途中の安国駅では駅舎の壁に「木のおもちゃ王国」と書かれたショーウィンドウがあり、その中に木製のおもちゃが多数展示されているのが印象的でした。

そして北見駅を出発してから約1時間半、網走駅を出発してから約3時間後の15時6分、列車は終点の遠軽駅に到着しました。

遠軽駅

遠軽駅では旭川行きの普通列車に乗り換えるのですが、次の列車まで約1時間半あることから、駅構内とその周辺を軽く散策しました。

遠軽駅は2面3線の駅で、到着した列車は改札口に面した1番線に到着していました。

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遠軽駅は石北本線の途中駅ですが、その大きな特徴の一つとしてスイッチバック駅であることが挙げられます。スイッチバックとは線路の途中で列車の進行方向を反対向きにする方式のことで、網走から旭川、あるいは旭川から網走へと直通する列車はこの遠軽駅で進行方向が反対向きになります。一般的なスイッチバック駅は山間部の区間で勾配を和らげるために設けられていますが、遠軽駅は平野部に作られた珍しいスイッチバック駅なのです。そうなった背景には石北本線の複雑な成り立ちと30年近く前に廃線になった名寄本線が絡んできます。

石北本線はもともと3つの別々な路線として建設されました。一つは起点である新旭川駅と遠軽駅を結ぶ”石北線”、二つ目は現在の北見駅から遠軽駅を経由してオホーツク海沿岸にかつて存在した湧別駅までを結ぶ”湧別線”、そして三つ目は根室本線の池田駅から北見駅を経由して網走駅を結ぶ”網走本線”です。その後、1932年に湧別線を解体して北見~遠軽の区間を石北線に編入しました。さらに1961年に網走本線を解体して北見~網走を石北線に編入し、その上で路線名を”石北本線”と改称したことで現在の石北本線が出来上がりました。

このとき、元々の”石北線”であった新旭川駅と遠軽駅を結ぶ線路は遠軽駅ではオホーツク海方面に向かって敷かれていました。一方、”湧別線”の一部として建設された北見から遠軽へと向かう線路も同じオホーツク海方面に向かって敷かれていました。そのために遠軽~北見の区間が石北線として編入されたときに遠軽駅で折り返すスイッチバック構造となったのです。

しかしこのときはまだ遠軽駅は完全なスイッチバック駅ではありませんでした。というのもオホーツク海に向かって延びる名寄本線という路線が残っていたからです。名寄本線は名寄線(名寄~興部~中湧別)に湧別線の遠軽~中湧別~湧別の区間を編入して生まれた路線で、中湧別~興部の区間はオホーツク海沿岸を走っていました。遠軽駅は石北本線と名寄本線の2路線が乗り入れる交通の要衝として発展していきました。

しかし名寄本線は本線を名乗りながら慢性的な赤字状態が続くローカル線と化していました。そして昭和の終わりから平成の初めにかけて行われた赤字ローカル線の廃止の波にのまれ、名寄本線は1989年に廃止となってしまいました。これによって遠軽駅からオホーツク海へと延びる線路はなくなり、全国でも珍しい平野部でのスイッチバック駅が誕生したのです。

(ちなみに名寄本線は”本線”を名乗りながら全線廃止となった日本で唯一の路線としても知られています(2018年当時))

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さてそんな遠軽駅の改札を抜けて駅舎内にやってきました。駅舎内は網走駅と同じくらい広く、ベンチも多数配置されていました。

駅舎を出ると駅は高台の上に建っているようで、眼下には真っすぐに延び道路と左手に駐車場がありました。そこから見る遠軽の街はよく田舎で見かける少し大き目な街という印象でした。

遠軽駅の駅舎入り口の右手には小さな店が前の駅そば屋がありましたが、この日はすでに営業時間が終わっているようでした。

駅舎内に戻ると、駅舎の中には遠軽駅開業100周年の記念プレートや約10年前に石北本線を走った臨時列車「SL常紋号」の写真が飾られていました。

この時点でまだ次の列車まで1時間以上ありましたが、ここまでの長旅で少し疲れ始めていた私は駅舎の中のベンチに座り休むことにしました。

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遠軽駅の駅舎の中で待つこと約1時間、列車発車10分前となり改札が始まりました。改札口を見てみると、今ではあまり見かけない吊り板式の発車案内が現役で用いられていました。

改札を抜けて駅構内に入った私はホームの湧別寄りに向かって歩きました。

跨線橋の階段のさらに奥に進むと屋根のない雪に覆われたホームがありました。

線路は廃線となった名寄本線の湧別方面に延びていました。後の調べによると回送列車の入れ替え用にかつての名寄本線の線路が少し残っているようです。

そして上の写真の1枚目の右手にはかつて名寄本線の列車が発車した0番線ホームが存在していたそうです。しかし雪に覆われているせいかその痕跡を見ることは出来ませんでした。

またホームの屋根からぶら下がるのりば案内を湧別側から見てみると、一番下の行に「紋別・名寄方面」と書かれているのを見つけました(消灯しているのでもしかしたら下の写真では分かりにくいかもしれません)。その右横に書かれている0と書かれておりこれは間違いなくかつて存在していた0番線ホームを表しています。

名寄本線が廃線となってから約30年。それからずっとそのままの状態で放置されているようでした。一番下の行が点灯することは二度とありませんが、こうやって名寄本線の痕跡が残っているのを見ると感慨深い気持ちになります。

そして私は1番線ホームに停まる普通・旭川行きの列車に乗り込み発車のときを待ちました。

石北本線の旅②(遠軽~旭川)

列車は遠軽駅を定刻通り16時35分に出発しました。夕暮れが迫る中、列車は西へと走ります。

列車は2駅隣の丸瀬布駅を出ると北見峠を始めとする山越え区間に入ります。この丸瀬布から2駅先の上川までの区間にはかつて「白滝シリーズ」と呼ばれた秘境駅群を含む秘境駅ゾーンがありました。

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2018年現在、丸瀬布駅と上川駅の間にあるのは白滝駅のみです。しかしかつてこの区間には上川側から天幕、中越、奥白滝、上白滝、白滝、旧白滝、下白滝の7つの駅があったのです。このうち奥白滝~下白滝までの区間は”白滝”の名が付く駅が5駅連続で存在しており、俗に「白滝シリーズ」とも言われていました。上の7駅のうち白滝以外は全て秘境駅で、2001年にこのうちの天幕、中越、奥白滝の3駅が廃駅となりました。その後、残った上白滝、旧白滝、下白滝は「白滝3兄弟」などと呼ばれ、秘境駅ファンの間では有名な存在でした。特に上白滝は1日1往復(朝1本、夕方1本)しか列車が停まらないため、鉄道での到達が最も難しい駅として知られていました。

しかし2016年3月、JR北海道の経営難に伴う秘境駅廃止の流れの中で上白滝、旧白滝、下白滝の3駅は廃止となってしまいました。こうして上川~丸瀬布の間にあった6つの秘境駅は全てなくなり、白滝駅のみが残りました。

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丸瀬布駅を出た列車は列車は途中、信号場になった下白滝信号場に停車しました。駅舎も当時のままの姿で残っているようでしたが、駅舎の周りも屋根の上にも雪が深く積もり、人の気配は全く感じませんでした。

下白滝信号場を出発した列車はやがて白滝駅に到着しました。この白滝駅でしばらく停車していると、反対側のホームに除雪車が入線してきました。本物の除雪車を見るのはこれが初めてだったので少し興奮しました。除雪車は一度白滝駅で停車した後、遠軽方面に向かって走り去りました。

列車は網走方面へと向かう行き違いの列車(特別快速「きたみ」や特急「大雪3号」)が遅れている影響で白滝駅で長時間停車しました。上の写真を撮った時には定刻より30分過ぎた18時頃だったため、30分以上は遅れていたようです。

白滝駅を発車する時点では周りは既に夜になっていました。この白滝から次の上川までの区間は先ほど書いた秘境駅の相次ぐ廃止により、在来線では日本最長となる37.3km(最短38分)の駅間を誇っています。

上川駅に着いたのは下の写真の履歴によると19時15分頃。定刻では18時31分着、18時53分発となっていたため、発車時刻から見て約20分の遅れだったようです。

上川駅を出発した列車は平野部を旭川方面へと走り続けます。車窓にはどこまでも続く漆黒の闇が広がっていました。私はそれをぼんやりと眺めながら旭川に到着するのを待ちました。

そして20時半を過ぎた頃だったと思います。列車は定刻より約30分遅れで終点の旭川駅に到着しました。遠軽駅を出発してから約4時間、網走を出発してから約8時間半の長旅でした。

旭川駅

旭川駅には旅行2日目の朝に出発してから約4日半ぶりにやってきました。途中、雪道で転倒して左半身を強打したり、爆弾低気圧による足止めがあったりしましたが、旭川駅を起点に富良野線、根室本線、釧網本線、石北本線と道央・道北の鉄路を一周し旭川に戻ってきました。

旭川駅の外もすでに暗くなっていました。旭川駅を出た私はコンビニで適当なご飯を買って疲れた足取りでホテルへと向かいました。

 

続きは「2018 北海道一周の旅Ⅱ・Part11―滝川-遠軽乗りつぶしの旅」へ

「2018年 北海道一周の旅Ⅱ」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 


編集後記(2019/7/11編集)

7月になり夏ドラマが順次スタートしていますが、月9ドラマ「監察医 朝顔」初回の終盤に見覚えのある駅が出ていました。主人公で法医学研究者の朝顔とその父で刑事の平が休暇を取り母の実家に向かうシーンで、その実家の最寄り駅として1年前の東北縦断の旅で停車する列車内から見た三陸鉄道の甫嶺駅が使われていました。駅名は架空の「仙の浦駅」となっていましたが、駅前に広がる草原と海に面する巨大な防潮堤は1年前の旅行で私が列車の中から見た景色そのものでした(そのときの旅行記はこちら)。

↓1年前(2018年)の東北縦断の旅で撮影した三陸鉄道・甫嶺駅からの車窓

ドラマの終盤では主人公・朝顔が母と共に8年前の3月11日に東北の海沿いにある母の実家に向かった際に震災に巻き込まれ、母が海沿いに住む知り合いのおばあちゃんを助けに海沿いに向かったまま行方不明になったこと、そして朝顔が8年ぶりに「仙の浦駅」のホームに降り立ったものの当時のフラッシュバックで動けなくなってしまいやむなく帰り、残った父が8年経った今も遺体を探しているシーンが描かれていました。知り合いのおばあちゃんを助けに向かったまま行方不明になった母の最期の姿を思い出している主人公・朝顔の心境を思うといたたまれない気持ちになりました。

 

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