2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part7ー私、刑務所に入ります~釧網本線と網走監獄~

4日目(2018年3月1日)
~私、刑務所に入ります―釧網本線と網走監獄―~

(「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part6ー日本最東端の駅・東根室駅の悲劇」の続き)

釧網本線で網走へ

釧路駅

この日から3月に入り暦の上では春となりましたが、北の大地・北海道ではまだまだ寒い日々が続いていました。

さてこの日の朝は比較的遅め(午前7時過ぎ)に起きてホテルで朝食を済ませた後、2日間お世話になったホテルをチェックアウトしました。そして午前8時40分頃、釧路駅にやってきました。ここから乗るのは釧網本線直通の快速「しれとこ」・網走行きです。

釧網本線は釧路駅の一駅隣の東釧路駅と流氷で有名な道東の街・網走を結ぶ全長166.2kmの路線で、釧路湿原やオホーツク海を車窓から望むことができる風光明媚な路線として知られています(釧網本線の列車は全て根室本線に直通して釧路駅から発着しています)。この路線も5年前の北海道一周の旅ですでに乗車しており、今回は5年ぶり・2回目の乗車となります。

この日は午後からやってくる爆弾低気圧の影響で釧網本線の列車は午後からすべて運休することが決まっていました。釧網本線の次の列車は釧路駅14時14分発の列車であったため、今から乗る8時57分発の快速「しれとこ」がこの日の網走方面の事実上の最終列車でした。

嵐の前の曇天の中、列車は8時57分に定刻通り釧路駅を発車しました。

釧網本線の旅

釧路駅を発車した列車は隣の東釧路駅で根室本線に別れを告げて釧網本線に入ります。

次の遠矢駅を出発してしばらくすると、列車は日本屈指の湿原地帯・釧路湿原に入ります。車窓からは雪に覆われた冬枯れした草木が一面に広がってはいましたが、その光景はどちらかと言えば地味な印象でした(やはり湿原を見るなら夏ですかね)。しかしながら時折り車窓からは大きく蛇行した釧路川が見えており、その姿は見応えがありました。

茅沼駅を出てからしばらくすると列車は釧路湿原を抜けました。その後列車は、1989年まで標津線が分岐していた標茶駅や摩周湖・屈斜路湖の最寄り駅にあたる摩周駅などに停車しながらオホーツク海を目指します。

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釧路駅を出発してから約2時間15分、列車は世界遺産・知床半島の玄関口にあたる知床斜里駅に到着します。ここまで列車は内陸部を走り概ね北向きの進路を取ってきましたが、ここからは流氷で有名なオホーツク海沿いを概ね西向きに走ります。

知床斜里を出発すると車窓からは時折りオホーツク海の景色が見えます。

知床斜里を出発してから16分、列車は北浜駅に到着しました。北浜駅の目の前にはオホーツク海が広がっており、そのため”流氷に最も近い駅”として知られています。展望台も設けられている北浜駅のホーム上には…なんと中国系(?)の団体客が大量にいました! この団体が乗り込んで来たら…と思うと憂鬱でしたが、どうやら彼らは観光バスで来たらしく、幸いこの列車に乗り込んでくることはありませんでした。

そして釧路駅を出発してから約3時間後の午前11時53分、列車は終点の網走駅に到着しました。

網走駅

網走駅は今回が5年ぶり2度目の訪問となりました。5年前は駅に着いたときも翌朝出発するときも急いでいたため駅構内の印象はほとんど残っていませんでしたが、今回はゆっくりと写真に収めることができました。

下車した2・3番線ホームから跨線橋を渡って1番線ホームに移動して改札口から駅舎内に入ります。駅舎内の雰囲気はあまり変わっていませんでしたが、改札口の前には運行状況を知らせる立て看板が置いてありました。

駅舎の外に出ると駅前の様子も5年前とあまり変わっていないように見えました。網走駅は網走市の市街地からは離れており、駅前には2つのホテルが建っているのと、飲食店がいくらかある程度です。

駅前に建つ2つのホテルのうち、この日宿泊する「東横INNオホーツク・網走駅前」にチェックインして荷物を預けました。そして爆弾低気圧が迫る中、かつて”日本一過酷な刑務所”と言われた網走監獄へと向かいました。

私、刑務所に入ります~網走監獄 観光記~

入獄

ホテルに荷物を預けた私は網走駅前から発着する網走バスの「市内観光施設巡り」線に乗車しました(網走駅前バス停12時23分発)。向かうのは刑務所としては最も過酷なこととして知られた網走監獄(旧・網走刑務所)です。

網走監獄(正式名称「博物館 網走監獄」)は、明治時代から1983年まで使用されていたかつての網走刑務所の建物を天都山中腹に移設した観光施設です。現在も網走刑務所は天都山の麓に存在していますが、あの過酷で日本最恐と恐れられた網走刑務所と言えば移設・観光施設化された網走監獄を指します(要は現在の網走刑務所と網走監獄は別物で、観光地として知られているのは網走監獄の方になります)。

網走監獄(旧・網走刑務所)の歴史は古く明治時代まで遡ります。1890年頃、西南戦争などに代表される各地の内乱によって急増した国事犯を当時未開の地だった北海道の開拓に充てるということが行われていました。その一環として1890年に作られたのが網走監獄でした。翌1891年、網走監獄に収容された1000人を超す囚人は札幌から網走を結ぶ中央道路の開拓に駆り出されます。それからわずか8ヶ月後、囚人たちは北見峠~網走の道路の開拓には成功しました。しかし森の中の道なき道を突き進む開拓はあまりにも過酷で、わずか8ヶ月の間に200人を超す死者を出したとされています。

その後このような囚人に対する重労働はなくなったものの、極寒の地に建てられた網走監獄はその後も重犯罪者が収容される最果ての地の刑務所として長らく恐れられることになるのです。

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網走駅前を出発したバスは国道39号を西へと進みます。

しばらくすると車窓には現在の網走刑務所の姿が見えてきます。こちらは現役の刑務所で実際の囚人も入っているため見学することはできません。

網走刑務所を過ぎるとバスは左に曲がります。左手には釧網本線の線路、右手には網走川を見ながら走ります。それから数分、バスは再び左手に曲がり釧網本線の線路を渡ると天都山を上る山道に入ります。

そして網走駅を出発してから約10分、バスは「博物館網走監獄」バス停に到着しました。

バス停は網走監獄の正門から少し入ったところにあったため、一度正門まで徒歩で戻ります。

そしてこの正門から改めて網走監獄の敷地内に入ります。ここから徒歩で網走監獄の建物群の入り口を目指します。

歩くこと数分、正面にはチケット売り場と格子に覆われた門が見えてきました。

チケット売り場でチケットを購入した私は門をくぐり、網走監獄に”入獄”したのでした。

網走監獄

(チケット売り場でもらった散策マップに記載されている「じっくりコース」に沿って順に散策しました。この記事では特に印象に残っている施設を中心に書きます)

正門・旧庁舎

12時40分頃に入り口の門をくぐり”入獄”すると、目の前にはレンガ造りの立派な門が見えました。この門はかつての網走刑務所の正門を復元したものだそうです。

この正門をくぐると正面には白い建物が見えてきます。この建物は網走刑務所の旧庁舎で、刑務所の管理部門の職員が詰めていた建物です。この旧庁舎は明治45年に建築されたもので、国の重要文化財に指定されています。

中に入ると、右手には喫茶コーナーとショップコーナーがあり、左手には網走監獄などの歴史が書かれた展示パネルがありました。ここで網走監獄の歴史(上で書いた中央道路の開拓など)などについて勉強することができました。

その展示パネルの奥にはライブラリーコーナーがあり、網走監獄に関する書籍が多数置かれていました。私は背表紙を眺めただけで特に中身は読みませんでしたが、網走監獄を深く知りたい方は読んでみてはいかがでしょうか。

裏門・旧裁判所

13時少し前に旧庁舎を出ると雪が降り始めており時折り強い風も吹いてきました。徐々に爆弾低気圧が接近していることを感じつつ網走監獄を巡ります。

散策マップの順路に沿って次に訪れたのは旧網走刑務所職員官舎です。旧網走刑務所職員官舎はその名の通り職員が寝泊まりしていた場所になります。

次に訪れたのはレンガ造りが特徴の裏門です。こちらはかつての網走刑務所で使われていた本物の裏門で通称「通用門」と呼ばれていました。この裏門は大正13年の建築で、有形登録文化財に指定されています。

マップに沿って次にやってきたのは「釧路裁判所網走支部法廷復元棟」という長ったらしい名前の建物です。要は網走にあった裁判所の法廷を復元した建物ものです(ちなみに中身の方は昔使われていたものを移築したそうです)。中に入って軽く散策をしたようですが、あまり具体的なことは覚えていません。

監獄歴史館

13時5分頃に旧裁判所を出た私はマップに沿って監獄歴史館へと向かいました。その道中には幾つかの建物がありましたがここでは省略します。

監獄歴史館はその名の通り、網走監獄の歴史を学ぶことができる資料館で、旧庁舎内にあった展示パネルが主に網走監獄開設の経緯や中央道路の開拓について書かれていたのに対し、こちらの歴史観ではそれも含めた囚人の生活に関する展示パネルや展示物が置かれていました。

その中で印象に残っているのは「赫い囚徒の森 体感シアター」というスペースです。このスペースは歴史館1階の中央にあるコーナーで、三方をスクリーンで囲まれていました。私は一通りの展示物を見た後にそのコーナーの近くに来ましたがそこには誰もいませんでした。私は思い切ってそのスペースに入り、シアターの上映開始ボタンを押しました。すると音楽やナレーションと共に三方のスクリーンに映像が映し出されました。

上映を開始して音が出るようになると他の観光客もやってきました。そこで語られていたのは網走監獄ができるきっかけとなった中央道路の開拓の過酷な現場を再現したアニメーションでした。未開の森を延々と突き進み、時には雨に降られ、また病気にかかり亡くなっていく囚人たち。このアニメーションを見るだけでもいかにこの開拓がいかに過酷であったか、そしていくら囚人(しかも殺人などの重犯罪者ではなく、当時の明治政府と対立して事を起こした国事犯)とは言え、このような囚人の重労働の上に網走開拓の礎が築かれたことを思い知らされました。

二見ケ岡刑務支所

13時半頃に監獄歴史館を出た私が次に向かったのは旧網走刑務所・二見ケ岡刑務支所です。この建物は網走刑務所の農園作業を行う施設として作られた刑務支所です。明治29年に建てられたこの二見ケ岡刑務支所は現存する木造刑務所では最古のもので、国の重要文化財に指定されています。

中には様々な部屋があり、それぞれの部屋には多数の囚人人形が置かれていました。リアリティが高く理解の役には立ったものの、外が曇っており中が少し暗いうえ爆弾低気圧の最中で人も少ないため少し不気味に感じました。

またこの建物の中にある食堂は「監獄食堂」となっており、現在の網走刑務所の食事を囚人の人形と一緒に食べることができるようになっています。しかし私が行った時には天候のせいか時間が遅いせいか分かりませんがやっていませんでした。

舎房・中央見張所

次にやってきたのは一般に網走監獄として認知されているであろう舎房・中央見張所です(13時40分過ぎ)。

この建物は5つの舎房(受刑者が収容されている建物)と中央見張所から成り立っており、中央見張所から放射状に5つの舎房を配置することで、中央見張所から全ての舎房の様子を見られるようになっています。この建物は明治45年に建てられたもので、こちらも国の重要文化財に指定されています。

まず正面の入り口から建物の中に入ると目の前には中央見張所の詰所が見えてきます。その周りには放射状に延びた5つの長い廊下があり、それぞれの廊下沿いに受刑者の入る部屋が多数配置されています。

それぞれの舎房に入るとそこには奥にずっと延びる廊下が続いていました。また廊下沿いに並ぶ部屋の一部は覗いたり中に入ったりすることができ、万が一にも今後本物の刑務所に収容されたときにどんな環境になるのかを予め体験することができます(笑)。できれば今回の経験が一生活かさずに済ませたいですね(笑)

脱獄

13時50分過ぎに舎房・中央見張所を出た私は、雪と風が強くなる中、浴場、煉瓦造り独居房、教誨堂と見学し、最後に、一番最初に訪れた旧庁舎を再び訪れてしばらく過ごしました(詳細は省略します)。

そして14時20分頃、旧庁舎を後にした私は網走監獄の出口から”脱獄”(出場)しました。”入獄”してから”脱獄”するまで約1時間20分の網走監獄の観光でした。

さて荒れ始めた天候の中、無事に”脱獄”した私は、出口の近くにあるお土産屋さん(物産館)に入りました。そこには網走監獄に関するお土産が多数売られていましたが、その中には洒落の利いたシュールなお土産が多数売られていました。手錠はもちろんのこと(笑)、某番組にあやかった「現在 逃走中」のTシャツや、”森のくまさん”ならぬ「オリのくまさん」のクリアファイルなど、見ているだけで面白いお土産が多数売られていました。

14時40分過ぎに物産館を出た私は駐車場にあるバス停に向かいました。しばらくすると網走駅前に向かうバスがやってきたのでそれに乗り込みました(14時49分発予定)。そして15時ごろに網走駅に戻ってきました。

網走駅に戻ってきた私は、駅前の某牛丼チェーン店で遅めの昼ご飯を取りました。そして荒れ行く天候の中、残りの時間をホテルで過ごしました。

 

続きは「2018年 北海道一周の旅Ⅱ・Part8ー山の上の流氷館へ」へ

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