2018年 東北縦断の旅・Part 8ー風鈴列車で行く津軽半島縦断の旅ー

4日目(最終日・後編)(2018年8月19日)
~風鈴列車で行く津軽半島縦断の旅~

(この記事は2019/6/22付で内容等の大幅な修正を行いました)

(「2018年 東北縦断の旅・Part7ー”津軽富士”望む弘南線と五能線の旅」の続き)

風鈴列車で行く津軽鉄道の旅

津軽鉄道・津軽五所川原駅

津軽鉄道との乗換駅であるJR五所川原駅に着いた私でしたが、五所川原駅では乗り換え時間が5分しかありませんでした。そのため、列車を降りた私はすぐにホームの階段を上り跨線橋へと上がっていきました。

階段を上がると、左手には改札へと続く明るく広い通路、右手には大鰐線のときと似たような細く薄暗い通路が続いていました。大鰐線のときは入るのに躊躇するほどでしたが、今回は入り口に女性職員がいたのと他の乗客もその通路を使っていたことから迷わずに入ることができました。

通路を渡り階段を降りると、左前には津軽鉄道のオレンジ色の列車が停車していました。ホーム周辺の線路上には放置されたであろう古い列車や貨車などがあり、右手には機関区があるのも見えました。

車内に乗り込むと、天井には風鈴がぶら下がっており、座席に着くと「持ち出し厳禁」と書かれた冊子が置かれていました。これを開くと、文豪・太宰治の小説の一節が書かれていました。

さてここから乗る津軽鉄道・津軽鉄道線(一般には「津軽鉄道」と呼ばれています)は、津軽半島の付け根の街・青森県五所川原市の津軽五所川原駅と、津軽半島の真ん中付近にある青森県北津軽郡中泊町の津軽中里駅の間を南北に結ぶ全長20.7kmのローカル線です。津軽鉄道は観光路線としても有名なローカル線の一つで、冬はストーブ列車、夏は風鈴列車など季節に合わせた列車を走らせています。また津軽鉄道の沿線は太宰治の故郷としても知られており、私が乗った列車には「太宰列車2018」のヘッドマークが掲げられ、車内には「持ち出し厳禁」と書かれた太宰治の小説の一節が書かれた冊子が置かれていました。

列車内には観光客と思しき人たちも乗り込み、1両編成の座席は半分程度が埋まりました。そして午前11時18分、列車は津軽中里駅へと向けて出発しました。

津軽鉄道の旅~列車と風鈴と朗読の奏でる三重奏~

津軽五所川原駅を出発して間もなく、車両の後ろの方から女性の声が聞こえてきました。振り返ると、そこには女性アテンダントが立っていました。どうやら津軽鉄道では女性アテンダントが乗り込み、沿線の観光案内などをしてくれるようです。

津軽五所川原駅を出発してしばらくは住宅街の中を通っていましたが、やがて車窓には緑に覆われた田園風景が見られるようになりました。

津軽五所川原駅を発車して10分くらい経った頃、女性アテンダントが各座席に置いてある冊子の朗読を始めました。私は窓から見える景色を眺めながら、女性アテンダントの朗読の声に耳を傾けました。車内には線路の継ぎ目を通る時の音と、天井から吊るされている風鈴の音色、そして朗読する女性アテンダントの声の心地よい”三重奏”が聞こえていました。

津軽五所川原駅を出発してから約20分後の午前11時40分、列車は途中駅の金木駅に到着しました。金木駅に到着すると、車内の乗客のほとんどが立ち上がり、ホームへと降り立っていきました。金木駅には太宰治記念館や津軽三味線会館などの観光名所があるとのことで、観光目当ての方々はここで降りたようでした。そして先ほどまで案内や朗読をしていた女性アテンダントもこの駅で下車したため、残されたのは私も含めた数名の鉄道ファンのみでした。

金木駅を出ると、車窓には相変わらず田園風景が広がっていました。そして津軽五所川原駅を出発してから約40分後の11時57分、列車は終点の津軽中里駅に到着しました。

津軽中里駅

津軽中里駅に着くと、窓からは多数の案山子が出迎えてくれました。そしてあまり実感はありませんでしたが、ホームや駅舎の看板にあるように、第3セクターを除く私鉄としては日本最北の駅に降り立ったことになるのです。

津軽中里の駅舎にはおそらく地元の農協と思しき売店が併設されていました。そして駅舎を出るとそこにはいかにもローカル線の終着駅らしい光景が広がっていました。

さて普通の鉄道ファンであれば、ここで折り返しの列車に乗り津軽五所川原駅に戻るのがセオリーです。しかし通なファンであればここから1日4本しか出ていないバスに乗り込むのです。行先は奥津軽いまべつ駅―まだ出来立てほやほやの日本屈指の”新幹線秘境駅”です。

弘南バスで新幹線秘境駅・奥津軽いまべつ駅へ!

マイクロバスで行く新幹線秘境駅・奥津軽いまべつ駅

津軽中里駅の写真を撮り終えて駅前のバス停で待つと間もなくマイクロバスがやってきました。弘南バスの「中里駅前~奥津軽いまべつ駅前線」のバスです。

このバス路線は、北海道新幹線の開業に合わせて2016年3月下旬より運行されていますが、その目的は奥津軽いまべつ駅へのアクセスと津軽半島の観光促進のために設置されたと思われます。とは言え、奥津軽いまべつ駅は1日7本しか停まらない新幹線秘境駅、そこまでの需要があるとはあまり思えませんが笑

マイクロバスには私も含めて3人の乗客が乗り込みました。蜂が車内に紛れ込むハプニングもありましたが、バスは定刻通り12時10分に中里駅前を発車しました。

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バスの車窓で印象に残っているのは、津軽鉄道同様に一面に広がる田園風景と、途中で住宅が立ち並ぶ細い路地を通っていたこと(おそらく大平バス停付近か)くらいです。

そして津軽中里駅を出発してから約45分後の午前12時55分頃、草木で覆われた土地に似つかわしくない巨大な白い建物が見えてきました―北海道新幹線の駅・奥津軽いまべつ駅の駅舎です。

奥津軽いまべつ駅

何もない駅前ロータリー

マイクロバスは白い奥津軽いまべつ駅の駅舎の前のロータリーに停車しました。そして私も含めた乗客全員が降りるとマイクロバスはどこかへと去っていきました。

バスで降り立った私たち以外の人は駅前には見当たらず、真新しいロータリーの周りは草木で覆われ、ここが本当に新幹線の駅なのかと疑ってしまうほどでした。反対側には白い巨大な構造物(新幹線ホームの外壁)があり、その手前側に線路が1本走っていました。

駅前でしばらく写真を撮った後、駅舎内に入ろうとしたとき、手前側の線路の上を2両編成の列車が左から右へと駆け抜けていきました。この列車はこの付近を走るJR津軽線(青森~三厩)の普通列車で、すぐ近くのJR津軽線の津軽二股駅を出発した直後となります。

津軽線の津軽二股駅へ~約4年半ぶりの訪問~

そんなJR津軽線の列車を見かけたこともあり、私はまず津軽線の津軽二股駅へと向かうことにしました。

津軽二股駅に向かうには、まず奥津軽いまべつ駅の駅舎に入り、左手へと向かいます。奥に進むとそこは地上の待合ホールとなっており、待合室の右手に津軽二股駅へと向かう連絡通路に続く扉があります。左手にがら空きの立体駐車場を見ながら連絡通路を歩くこと数分、通路を抜けるとそこにあるのは道の駅と併設になっている津軽二股駅の駅舎です。

この津軽二股駅の駅舎(というよりは道の駅ですが)の右手にあるのが津軽二股駅のホームです。そしてそこから見える光景は約4年半前に訪れた時から大きく変わっていました。

いずれそのときの旅行記も書く予定ですが、ここで簡単に書くと、今から約4年半前の2014年3月、私は廃止まで約2ヶ月を切ったJR北海道の江差線の木古内~江差の区間を乗りに行きました。その旅行の道中で訪れたのがここ津軽二股駅でした。

北海道新幹線が開業する2016年以前、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅と木古内駅の間の区間(青函トンネルも含む)は在来線の特急列車が行き来をしており、今の奥津軽いまべつ駅の建つところにはJR海峡線の津軽今別駅という小さな駅がありました。あの日、私は北海道側から特急列車に乗り、青函トンネルを抜けて雪に覆われた津軽今別駅に降り立ちました。

2014年当時の津軽今別駅は北海道新幹線の工事に伴い従来のホームは撤去され仮ホームが設置されていました。しかし2014年当時はまだホームがあるだけの非常に簡素な造りで、今のような巨大な駅舎は影も形もありませんでした。そしてそのホームの木古内側の端にある構内踏切を渡り、屋根の着いた下り階段を降りるとそこに津軽二股駅のホームがありました。

あらから4年半経った2018年夏、津軽二股駅のホームや併設している道の駅は4年半前とそこまで変わらないように見えました。しかし、その周辺の様子は大きく変わってしまいました。かつては小さな駐車場があるだけであった津軽二股駅前には巨大な立体駐車場が立ち、ホームから蟹田方面を見ると当時にはなかった巨大な白い駅舎が目に入ってきました。そして、かつての津軽今別駅への連絡通路(屋根に覆われた階段)は撤去され、1~2分程度で乗り換えができた両駅も今となっては徒歩10分程度かかるようになってしまっていました。こうやって大きく変わった駅周辺を見ると少し寂しいものを感じます。

その後、津軽二股駅に併設されている道の駅を軽く見て回った後、私は元来た通路を戻り奥津軽いまべつ駅の駅舎に戻りました。

奥津軽いまべつ駅

奥津軽いまべつ駅舎の入り口まで戻った私は改札口へと向かいました。改札口へと向かう手段は入り口正面にある115段の階段を上るか、右手のエレベーターで上がるかのどちらかです。スーツケースを持っていた私は当然ながらエレベーターを選択しました。

エレベーターで3階の高さに上るとそこには跨線橋がありました。駅舎や跨線橋の壁はガラス張りとなっており、駅前ロータリーや先ほどまでいた津軽二股駅などの姿を望むことができます。

また跨線橋の真ん中には、青函トンネル開業30周年記念のパネル展示が置かれており、その中には約5年半前に乗車した寝台特急「北斗星」のヘッドマーク(そのときの旅行記はこちら)や、かつて青函トンネルを走っていた列車の鉄道模型も展示されており、どこか懐かしさを感じました。

そして通路を奥まで向かうと、そこには真新しい改札口がありました。

奥津軽いまべつ駅の駅構内

奥津軽いまべつ駅の改札を入って左手のエレベーターで11番線ホームに向かうと、そこには雪除けのシェルターで覆われた薄暗い空間が広がっていました。そこは北海道新幹線が発着する奥津軽いまべつ駅のホームです。

そしてホームで待つこと数分、11番線ホームに「はやぶさ24号」東京行きの新幹線が入線してきました。

旅の終わり

13時35分、列車は定刻通り奥津軽いまべつ駅を発車しました。

2016年3月に開業した新青森駅と新函館北斗駅を結ぶ北海道新幹線に乗るのは今回が2度目ですが、前回は日が暮れた後の乗車だったため、車窓を眺めるのは今回が初めてでした。トンネルの区間も多かったですが、車窓からは時おり、眼下に広がる緑の大地と、陸奥湾を挟んで対岸に見える下北半島の山々を眺めることができました。

本来であればこの列車で旅の起点である上野駅に向かうはずでした。しかしこの日はお盆休み最後の日曜日ということもあり、残念ながら仙台より先の座席を取ることはできませんでした(「はやぶさ」は全車指定席で自由席はありません)。そのため、仙台で「やまびこ166号」東京行きに乗り換えることとなっていました。

その後、仙台駅で無事に乗り換えた私は、奥津軽いまべつ駅を出発してから約4時間後の17時38分、今回の旅の起点である上野駅まで戻ってきました。そしてそこから在来線を乗り継いで家路へと着くのでした。

旅の感想

さて、8回に渡って書いてきた「2018年 東北縦断の旅」はいかがだったでしょうか。今回の旅は、旅の前半と後半とで大きく趣の違う旅となりました。

旅の前半では、三陸海岸沿いの路線を巡り、震災から7年半経った被災地の光景を見てきました。特に、震災遺構の旧野蒜駅や、大船渡線BRTの車内からみた陸前高田の震災遺構や街並みは私にとって衝撃的なものでした。今回の旅では旅程の都合上、ほとんどの街を通り抜けるだけでしたが、まだまだちゃんと見れていない街や震災遺構も数多くあります。そのためいつになるかわかりませんが、なるべく早いうちに再び東北の被災地を訪問し、10年前後経ってなおも残る震災の爪痕と街の復興をこの目で見て、この体で体感したいと思っています。

一方、旅の後半は打って変わってローカル線の乗りつぶし旅を敢行しました。JR釜石線、JR北上線と太平洋側から日本海側へと横断し、秋田内陸縦貫鉄道、弘南鉄道の大鰐線・弘南線、津軽鉄道といった民鉄を乗りつぶしながら北上し、最後に生まれ変わった奥津軽いまべつ駅を訪問しました。後半の旅で特に印象に残っているのはやはり弘南鉄道・大鰐線ですね(笑)。あの良く言えばレトロな雰囲気の大鰐駅や中央弘前駅は衝撃を受けるとともに、どこかワクワクもしました。一度は廃止が表明されるなど今後が不安な路線でありますが、他の路線共々なるべく長く残ってくれることを祈っています。

 

以上をもって「2018年 東北縦断の旅」の旅行記を終わりにしたいと思います。

次回の旅行記ですが、現時点では候補が二つありまだ迷っているため事前にお知らせすることができませんが、一つ言えるのは私・会社員NKの旅行人生の中で二大旅行(2019年4月当時)のいずれかを書くことになると思います。

次回以降も是非ともご愛読くださいますようよろしくお願いします。

 

「2018年 東北縦断の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 


編集後記(2019年4月27日):

さて今日から平成最後のゴールデンウィークが始まりました。海外旅行に行く者、帰省する者、自宅でのんびり過ごす者、働いている者など、残りわずかとなった平成の時代を皆さま思い思いに過ごされていることでしょう。

私が生まれ育った平成という時代を振り返ると…なんて書き始めるときりがないので(笑)、ここでは書かないことにしますが、あと3日に迫った平成最後の日、そしてその翌日の令和最初の日、皆さまはどのように過ごされるでしょうか。私はたぶん家でのんびり特集番組を見ているか、退位・即位の儀式に合わせて皇居周辺に出向くかのどっちかにしようと思っています(皇居周辺に出向いても退位・即位の儀式を見ることができるわけではありませんが(笑))。

そして最後になりますが、今回の記事が平成最後の記事となります。当サイトを開設してから約半年、読者はほとんどいないようですが(笑)、当サイトの旅行記を読んでいただいた読者の皆さま方、本当にありがとうございました。そして平成から新しい令和の時代になっても当サイトを引き続きご愛読くださいますようよろしくお願いします。

 

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