2018年 東北縦断の旅・Part 6ー秋田内陸縦貫鉄道とレトロ漂う大鰐線の旅

3日目(後編)(2018年8月18日)
~秋田内陸縦貫鉄道とレトロ漂う大鰐線の旅~

(このページは2019/6/22付で内容等の大幅な修正を加えました)

(「2018年 東北縦断の旅・Part5ー東北”横断”の旅~万緑のローカル線をゆく~」の続き)

新型”E6系新幹線”で角館へ

大曲駅へと戻った私は、ここから秋田新幹線に乗って秋田内陸縦貫鉄道の始発駅・角館駅へと向かいます。

秋田新幹線は岩手県の盛岡駅と秋田県の秋田駅を結ぶ新幹線で、在来線の田沢湖線・奥羽本線(大曲~秋田)に乗り入れる形で運行しています。そのため、秋田新幹線の車両は在来線でも走れるように車幅が狭くなっており”ミニ新幹線”と呼ばれています。

秋田新幹線が発着する11・12番線ホームへと向かうと、そこには鮮やかな赤が印象的なE6系新幹線が停まっていました。

E6系新幹線は2013年より運行されている車両で、秋田新幹線用の車両としては2代目の車両となります。初代の車両であるE3系新幹線には引退直前の2013年に乗車していますが、2代目”新型”となるE6系については、見かけたことはあるもののまだ乗車したことがありませんでした。E3系新幹線が引退してから4年、ついに乗車するときがやってきました。

私はこの列車に乗って一路、角館へと向かいました。

JR角館駅

12時46分に出発した「こまち20号」東京行きの新幹線は、10分後の12時56分に隣の角館駅に到着しました。

角館駅のホームに降り立つと、ホームの裏側にこれから乗る秋田内陸縦貫鉄道の乗り場と線路があるのが目に入りました。JRのホームと秋田内陸縦貫鉄道の乗り場は柵で仕切られており通り抜けることはできないものの、秋田内陸縦貫鉄道の乗り場の様子を見ることはできました。

角館は昔ながらの武家屋敷が残る風情ある街で、角館駅の駅舎やホームには武家屋敷を感じさせる装飾なども施されていました。この後乗る秋田内陸縦貫鉄道の列車が発車するまで約1時間あったことから、予定では武家屋敷の街並みを少し見に行ってみようと思っていました。

しかし結論から言うと、残念ながら武家屋敷に到達することはできませんでした。駅前から徒歩で向かおうとしましたが、駅前から武家屋敷の中心部まで徒歩で20分くらいかかる上、季節は真夏、約10分歩いたところでバテ始めました。加えて仮に到達できても滞在時間はわずかしかないことから、今回は体力の消耗を考え、道中にある「西宮家」の屋敷に少しだけ立ち寄って途中で引き返すことにしました。

秋田内陸縦貫鉄道の旅

角館駅

来た道を戻り歩くこと約10分、汗だくになりながら角館駅に戻ってきました。

さてここから乗るのは秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線(一般には「秋田内陸縦貫鉄道」の名で呼ばれる)です。

秋田内陸縦貫鉄道は秋田県東部の街・仙北市の角館駅と秋田県北部の街・北秋田市の鷹巣駅を結ぶ全長94.2kmの路線です。かつては国鉄(民営化前のJR)の阿仁合線(鷹ノ巣~阿仁合)と角館線(角館~松葉)という2つの路線でしたが、1980年代前半に国鉄が廃止を表明したために、地元自治体が第三セクター「秋田内陸縦貫鉄道」を設立して買収した路線です(1986年開業、未開通だった松葉~阿仁合の区間は1989年に開通)。

その名の通り秋田県の内陸部を走る秋田内陸縦貫鉄道は、四季折々の季節で見られる自然の景色と「マタギ文化」などの伝統文化が魅力のローカル線です。特に何年か前にネットで見た雪景色の中を走る秋田内陸縦貫鉄道の列車は非常に印象的で、一度は絶対乗っておきたかった路線の一つでした。今回の季節は夏でしたが、今度いつ乗れるか分からないので今回の旅程に組み込むことにしました。

さてJR角館駅の左隣にあるこじんまりとした駅舎に入りホームへと向かうと、そこには1両編成の列車が停まっていました。車内に入ると帰省客や観光客などで席は埋まっており、私は列車後方の進行方向右側の乗降口付近に立つことにしました(当然ながら、乗客の乗り降りがあるときは離れた場所に移動しています)。

秋田内陸縦貫鉄道の旅(角館~阿仁合)

13時58分、列車は定刻通り角館駅を発車しました。角館駅を出た列車はしばらく田沢湖線・秋田新幹線と並走した後、大きく左へとカーブして進路を北寄りへと変えました。

秋田内陸縦貫鉄道の車窓からは、緑で覆われた山々や田畑が見られ、沿線の田畑には時折り「田んぼアート」で描かれた動物たちも見受けられました。列車は近くを流れる桧木内川を幾度か渡りながら北へと進んでいきます。

やがて列車は長いトンネルに入り、仙北市から北秋田市へと入りました。そして次の停車駅は「マタギ文化」の名を冠した「阿仁マタギ駅」です。ここを出発した列車は今度は阿仁川を幾度となく渡りながら北へと向かうことになります。

車窓からは相変わらず緑に覆われた山々や田園風景が見られました。しかしこの日の午前中にも釜石線や北上線でも似たような景色を見てきたためか少し飽きてしまいました。

そして列車は15時20分に定刻通りにこの列車の終点である阿仁合駅に到着しました。

阿仁合駅

阿仁合駅は秋田内陸鉄道の車庫もある主要駅の一つです。この阿仁合駅では7分の接続で鷹巣行きの普通列車に乗り換えることになります。列車が到着し扉が開くと、乗客の大半は前方に停まる普通・鷹巣行きの黄色い列車へと乗車していきました。

列車の中に入り車両後方(角館側)の窓を見ると、先ほどまで乗っていた赤い列車が目の前に停車していました。こんなに近くに別の列車がいるのはあまり見たことがなかったので、思わず写真を撮りました。

そして発車を待っていると反対側のホームに少し豪華な列車が入線してきました。この列車は鷹巣発の急行「もりよし3号」角館行きです。JRにかつて存在した急行列車と同様に乗車券の他に急行券が必要な列車で、車内販売なども行われているそうです。そんな列車を横目に鷹巣行きの普通列車は定刻通り15時27分に阿仁合駅を出発しました。

秋田内陸縦貫鉄道の旅(阿仁合~鷹巣)

阿仁合駅を出発した列車は阿仁合川に沿って引き続き北へと北上を続けました。車窓からは引き続き緑に覆われた山々や田畑、田んぼアートなどが見えていました。

そして阿仁合駅を出発してから53分後の16時20分、列車は定刻通り終点の鷹巣駅に到着しました。始発の角館駅から約2時間20分の旅でした。

鷹巣駅ではJR奥羽本線と接続しており、ここから乗り換えて弘前方面へと向かいます。私は16時53分発のJR奥羽本線の普通・弘前行きに乗りこみ、弘南鉄道・大鰐線の終点がある大鰐温泉駅へと向かいました。

夕闇迫る弘南鉄道・大鰐線の旅

弘南鉄道・大鰐駅

夕日が差し込むJR奥羽本線の車内。私はロングシートの座席に座り、車窓に見える夕焼けをぼんやりと眺めていました。すでに今日のメインの路線であったJR釜石線、JR北上線、秋田内陸縦貫鉄道を乗り終えた私は、今日の旅が終わっていた気分でした。これから乗る弘南鉄道・大鰐線は乗りつぶしのために組み入れた路線であったため、すっかり気が抜けていました。しかし大鰐駅に到着した私は、今回の旅の後半(3・4日目)の中で最も大きな衝撃を受けることになったのです。

鷹ノ巣駅を出発してから約1時間後の17時48分、列車は弘前駅の2つ手前にあたる大鰐温泉駅に到着しました。ここで弘南鉄道・大鰐線に乗り換え、終点の弘前中央駅へと向かいます。

弘南鉄道・大鰐線は、青森県南津軽郡大鰐町の大鰐駅と青森県第二の都市・弘前市の中央弘前駅の間を結ぶ全長13.9kmの短いローカル線です。

JR大鰐温泉駅の改札を出て駅前広場に出ると、左手には大鰐温泉にちなみ足湯とピンクのワニが出迎えてくれました。このピンクのワニの裏手に弘南鉄道・大鰐線の南口駅舎が建っていました。

弘南鉄道・大鰐駅の南口駅舎は良く言えばレトロ、悪く言えばぼろい駅舎で、中に入るとベンチは置かれているもののきっぷ売り場はなく(後の調べでは昔あったがなくなったらしい)、夕暮れで薄暗い駅舎の中は少し不気味に感じました。

駅舎を通り抜けると、そのままJR大鰐温泉駅の1番線ホームへと出てしまいました。この事態に少し困惑しながらも、右手の跨線橋が弘南鉄道のホームにつながっていると信じ、駅構内の跨線橋を上り始めました。

跨線橋を上り左を向くと、JRの2・3番線ホームの案内看板と、奥へと続く通路が目に入りました。奥へと続く通路は、JRの跨線橋の通路と比較して幅が約半分、高さが約8割程度の細く狭い通路で、加えて夕暮れにも関わらず照明も点いていなかったために薄暗く不気味な感じがしました。この細く薄暗い通路の不気味さは、写真を撮ったら何かよからぬものが写るのではないかと思うほどでした(少し大げさかもしれませんが、実際に何か写ったらと思うと怖くて撮ることができませんでした)。

とは言え、通路の入り口上部には弘南鉄道の看板が掲げられており、弘南鉄道の4・5番線ホームへと続く通路はこれしかなさそうでした。既に使われていない通路だったらどうしようと思いつつ、私は恐る恐る薄暗い通路の中に入りました。そしてこの通路を恐る恐るゆっくりと歩いて端まで到達し、左手の階段を降りるとそこは目的の弘南鉄道・大鰐駅の4・5番線ホームでした。

ホームの屋根の造りや停車中の列車はどこか昭和を感じさせる雰囲気でした。階段を降りたところの右手にはこじんまりとした待合室があり、その奥に通路が伸びているのが見えました。この通路はおそらく北口へと続いていると思い、その通路を奥へと進みました。

そして通路を抜けると確かにそこは北口広場でした。しかし、駅前にも関わらず人っ子一人おらず、正面にはミニロータリーと緑に覆われた林が、左手には細い道路と民家が見えるだけのさびれた駅前広場でした。そして振り向くとそこにあったのは駅舎…というよりは駐車場付きの2階建ての物置小屋と言った方がいいのだろうか。その姿に呆気にとられました。

薄暗く古びた南口駅舎、細くて薄暗い跨線橋の通路、レトロ漂うホームと電車、北口の物置小屋のような駅舎、さびれた北口駅前広場―今日の旅が終わった気分でやってきた私にとってはあまりにも衝撃的で、眠気や疲れも飛んでしまうほどでした。そして私はとんでもない路線に来てしまったことをようやく自覚しました。

弘南鉄道・大鰐駅の4・5番線ホームに戻った私は列車の撮影を行いました。ホームに停車中の列車は弘南鉄道7000系列車ですが、どこかで見覚えがある方もいると思います。そう、この列車はかつて東急東横線や東急田園都市線などを走っていた初代・東急7000系電車です。昭和の頃は東急電鉄の主力車両の一つでしたが、後継車との置き換えに伴い一部が平成の初めに東急電鉄から弘南鉄道に譲渡されたそうです。以来30年近く弘南鉄道の主力列車として活躍しています。

そんなどこか懐かしい列車(といっても私は平成生まれなので東急電鉄時代を直接は知らないですが)に乗り込んだ私は、18時10分に定刻通り中央弘前駅に向けて出発しました。

弘南鉄道・大鰐線の旅

列車は夕闇迫る中、弘前市に向かって走ります。車窓には田園風景や住宅街が広がっていましたが、薄暗いせいか車窓にすらどこかレトロさを感じさせる路線でした。途中の駅は大体が簡素な簡素な駅であり、それらを結ぶ列車は線路が真っすぐの区間でも時折り左右に揺さぶられたりしました。

そして大鰐線の車窓の見どころは大きく2つありました。一つはJR奥羽本線を跨線橋で横断するシーン、そしてもう一つは車窓に映る”津軽富士”(岩木山)でした。車窓に映る雄大な津軽富士の姿とオレンジ色に輝く空はどこか幻想的で、一日の終わりにふさわしい光景でした。

そして大鰐駅を出発してから28分後の18時38分、列車は中央弘前駅に到着しました。

弘南鉄道・中央弘前駅

終点の中央弘前駅に到着した私は、しばらくホームで写真を撮った後、駅舎へと向かいました。駅舎の中は、昔ながらの改札やベンチ、コンクリの床などがあり、時の流れがそこだけゆっくり動いているように感じました。

中央弘前駅の駅舎を出るとそこには細い道路と空き地が広がっているだけで、中央弘前駅の名にしては寂しい駅前でした。そして振り返ると駅名が黄色いランプで照らされた古びた駅舎が建っていました。外観も中もまさしく昭和の名にふさわしい、そんな駅でした。

そんな中央弘前駅ですが、この駅の周辺はかつての中心街である土手町の最寄り駅であり、さらには弘前城や夜桜で有名な弘前公園の最寄り駅でもあります(JR弘前駅よりも近い)。そのため、中央弘前の名はあながち的外れではありません。しかし弘前公園や土手町を訪れる観光客の中に中央弘前駅を使う人はほとんどいないでしょう。いや、もはや中央弘前駅の存在を知らない観光客がほとんどであり、知っているのは地元民と鉄道ファンだけかもしれません。

今回の旅の中で全くノーマークであった弘南鉄道・大鰐線。しかし大鰐線が随所で見せてくれたレトロな雰囲気は私の想像をはるかに超えるもので、個人的にはとても楽しかったです。そして昭和感あふれる中央弘前駅の駅舎を背に私は闇に包まれ始めた夜の弘前市内へと向かいました。

夜の弘前の街

中央弘前駅を後にした私は、中央弘前駅から約徒歩3分のところにある食事処「菊富士」を訪れ夕飯を食べることにしました。

「菊富士」は津軽地方の郷土料理を食べられる店として有名で、各界の著名人が多数訪れる(志村けん、風間トオル、松崎しげる、スノーボードの角野友基、アルピニストの野口健など、確認できるだけで30人以上の色紙が飾られていました)名店です。

この店は居酒屋でもありますが、単品モノ以外に定食なども提供しています。私は津軽の郷土料理「けの汁」をメインとした「けの汁定食」と弘前のソウルフード「いがめんち」をメインとした「いがめんち定食」(いずれも1120円)のどちらにするか大いに迷いましたが、今回は「いがめんち定食」を食べることにしました。

料理を美味しく頂いた私は、再び夜の弘前の街へと繰り出しました。ここから目指すのはこの日の宿であるJR弘前駅近くのホテルです。しかし、中央弘前駅や「菊富士」のあるエリアとJR弘前駅との間は約2kmも離れていました。「菊富士」を出た私は、途中道に迷いながらも徒歩でJR弘前駅方面へと向かいました。

とは言え、2kmという距離は想像していたよりも長く感じました。そしてどれくらい歩いた頃でしょう、ようやくJR弘前駅が見えてきました。街灯に照らされたJR弘前駅の駅ビルを見た私は、その姿を背にこの日の宿へと向かいました。

 

続きは「2018年 東北縦断の旅・Part7ー”津軽富士”望む弘南線と五能線の旅」へ

「2018年 東北縦断の旅」のその他の記事はこちら、その他の旅行記はこちら

 


編集後記(2019/4/23):

体調が悪かったこともあり、前回の記事を公開してから1カ月以上経ってしまいましたが、その間に5月からの新元号も発表されました。新元号「令和」―皆さま思うところは様々かと思いますが、個人的には「レイワ」の音のテンポが良いのと、「令和」の字面がどこか落ち着いた感じがして気に入っています。ただ「昭和」に続いて再び「和」が入ったのは個人的には意外だったと感じており、少し古臭いかもしれないとも思いました。

また4月になり平成最後の新ドラマも随時始まりました。まだ見れていないドラマもありますが、個人的に面白そうだと思っているのが月9の「ラジエーションハウス」と水10の「白衣の戦士!」です。特に「ラジエーションハウス」第2話のオープニングの語りで、離婚届を「永遠の愛を誓い合ったはずの夫婦を一瞬にして他人にしてしまう”魔法の紙”」と語っていたのはとても面白かったです(笑)。「ラジエーションハウス」も「白衣の戦士!」も舞台は違えど医療ドラマで面白いと思うので興味があればぜひご覧になってください。

そして気づけば平成も残り7日。平成生まれの私にとっては初めての元号の終わりを迎えることになりますが、皆さまは「平成」最後の一週間、どのように過ごされますか?

 

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